オールスターといえば、2005年7月23日に甲子園で行われた第2戦が忘れられない。

 横浜ベイスターズにマーク・クルーンという投手がいた。直前の阪神戦で161キロを出し、ちょっとした人気者になった。よもやまで来日1年目の球宴を語ってもらおう…緩い企画を快諾してもらい、期間中は一緒に過ごすことになった。

 クルーンは第1戦で登板を済ませていた。少年少女にサインをしながら「この球場は本当にクールだ。フェンウェイ・パークと同じで歴史を感じる」「なぜマンモススタンドと呼ばれるのか」「ずっと思ってたんだけど、なぜゲーム中に風船を飛ばすのか」と素朴な質問を次々と投げてきた。通訳を介して会話するわけだが、何とものどかな取材? は意外と楽しかった。

 無事に練習が終わって「じゃあ」と別れ、バックヤードで一服していると、関係者出入り口で通訳が慌てていた。

 「どうしたんですか」

 「クルーンがどこにもいないのもので。もう集合なのに…ピザかハンバーガーでも買いに行ったかな…」

 「外で探してみましょうか」

 風雲急を告げ、2人で雑踏に紛れた。手分けしても見当たらない。道行くファンに「クルーンを見ませんでしたか」と尋ねると「あっちにいましたよ」と駅の方を指さした。阪神電鉄の甲子園駅に向かって、大またのいかり肩で歩いている背番号42が見えた。「お~い」と追いかけた。

 手には携帯電話と長財布を持っていた。「今から帰る」と興奮していた。「横浜で大きな地震があった。何回電話しても家族とつながらない。心配だから自分は帰る」と言って聞かなかった。

 日本は地震の多い国という下地もあったのだろう。ピュアなクルーンにとってはいてもたってもいられない状況となり、ユニホーム姿のまま飛び出してしまった。LINE(ライン)も緊急地震速報も定着していない時代で、不安が募る気持ちはよく分かった。

 通訳が「地震の時、携帯電話がつながらないのは日本ではよくある」「家族は球団が責任を持ってケアする」と一生懸命に説くと、ようやく納得して球場へ戻った。開始前に家族の無事が分かると元気を取り戻し、予定通り三塁コーチャーを務めた。

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 14日のオールスター第2戦は熊本で行われた。天然記念物のクスノキ群がそびえ立ち、少年たちがホームラン競争のボールを追いかけ、クスノキの周囲を無邪気に跳ねていた。原風景が伝わる平成最後の球宴を見ながら、クルーンを思い出していた。

 11年に東日本大震災があり、2年前には熊本地震があった。7月には西日本豪雨も。不条理に直面した人が多すぎる。心持ちはそれぞれだし、野球の力と言っても、大上段に「これ」と決められない。ただオールスターを見ると「今年も夏が来たなぁ」と素朴に思う。

 野球には「当たり前が持つ力」と「当たり前を伝える力」があるとは思う。当たり前に感謝しなくては。


 ◆宮下敬至(みやした・たかし)99年入社。04年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)-巨人-楽天-巨人。16年から遊軍、現在はデスク。