中日が球団通算5000勝を達成した。激しいシーソーゲームで1点を追う7回にルナの2点二塁打で逆転した。巨人、阪神に続く記念星。過去に3年連続Bクラスが1度しかない名門球団だが、今季は2度目の不名誉の危機。それでも7試合ぶりに適時打が出るなど、打線につながりが生まれ、光が見える勝利になった。

 待ちに待った5000個目のウイニングボールが手元にやってきた。勝ち投手は4回から好リリーフの武藤。森野に「どうする?」と尋ねられた右腕は「監督に」と記念球を譲った。

 遅々として進まなかったカウントダウンは交流戦初の連勝で締めくくった。就任2年目で95勝目を挙げた谷繁元信兼任監督(44)は逆に気を引き締めていた。

 「3球団目ですか。歴史ですよね。これまで何百人のドラゴンズの方々が積み上げてきた勝ちですから。5000の区切りのときに監督をしているということを受け止めながら、また戦っていきたい」

 2年連続Bクラスが1950年の2リーグ分立以降で、わずか4度。うち3年連続が1度だけ。この安定した成績こそが中日球団が誇るべき足跡だ。

 しかし巨人、阪神に続く歴史を喜んでばかりいられない。借金4の5位に沈む今季もBクラスなら3年連続。68、69、70年以来の45年ぶり2度目になる。

 本来、5000勝はナゴヤドームで達成されるはずだった。だが交流戦に入り12試合でたった4勝。うち9試合を戦ったナゴヤドームでは3勝と足踏みし、地元のファンに節目の勝利を見せられなかった。

 それでも、十分に前を向ける1勝だった。湿っていた打線に光が見えた。14安打7得点は交流戦最多。初回から涌井を攻め、ルナがチーム7試合ぶりの適時打で先制。3回にも平田の右前適時打、そして7回2死二、三塁でルナが右越えに逆転打を放った。

 大砲はいない。進塁打、盗塁など、ベンチを含めた全員の力で得点を重ねた。先発若松が崩れても武藤以下リリーフが踏ん張った。まさに、この試合のように苦難に耐え、攻め続けて白星を重ねてきたのだ。「こうやってカバーし合いながらやっていければ」。指揮官は新たな歴史へ、手応えを感じていた。【柏原誠】

 ▼球団通算5000勝=中日 9日のロッテ1回戦(QVCマリン)で達成。初勝利は36年4月29日の大東京戦で、通算成績は5000勝4638敗335分け。5000勝到達は、巨人5670勝、阪神5005勝に次いで3球団目。