巨人が村田修一内野手(34)の1発で、東京ドーム通算1000勝を決めた。3-3の8回2死一、二塁、中日大野から6号決勝3ランを放った。今季は好機で代打を送られる屈辱を経験。この日デビューした新外国人アレックス・カステヤーノス外野手(28=メッツ3A)もマルチ安打と結果を残すなど、ライバル出現の危機感を力にしての1発だった。チームは4連勝で、首位阪神に0・5ゲーム差のまま2位に浮上した。

 無心だった。同点の8回2死一、二塁、村田が大野の真ん中低め直球を捉えた。「何も考えてなかった。思い切っていこうと」。左翼席に向かう放物線を見ながら、ゆっくり一塁に歩き出した。12試合ぶりの6号3ランは、巨人の東京ドーム1000勝を決める1発になった。「僕らしい、柔らかい本塁打。久しぶりに気持ち良く振れた」と、うれしそうに汗を拭った。

 人生初の重圧に襲われていた。期待される長打が出ず、凡打を繰り返した。30日のDeNA戦では、8回1死二、三塁で前打者阿部が敬遠されている最中の次打者席で、代打・高橋由を告げられベンチに下がった。絶好機での代打は今季は何度も味わった。「与えられたチャンスで結果を残さないといけないということ」と、こらえてきた。

 試練は終わらなかった。本職は外野手ながら、同じ三塁も守れるカステヤーノスが新外国人として加入。起用法の幅を広げるべく、この日は村田が一塁で初先発した。「今は野球をやってきた中で一番の壁。高校、大学と苦労はしてきたけど、ここまで訳が分からなくなることはなかった」と自信を失いかけた。

 見失いかけた自分を取り戻したのは、先輩のひと言だった。先月下旬、横浜時代の同僚でもある相川から「『オレが村田だ』ってぐらいでいいんじゃないか」と声を掛けられた。「長打力が魅力で入ってきた。小さくなっていた」と強く振ることに集中。結果、ホームランアーチストらしい1発が生まれた。

 東京ドーム近くには、村田が通った日大のキャンパスがある。「いつかは巨人で、東京ドームで野球がしたいっていう気持ちは、その時からあったかもしれないですね」。憧れの場所の記念弾を「(FAで)この球団に来て4年目、すごく苦しんでいるシーズンだけど伝統ある球団のそういう1勝に貢献できて光栄」とかみしめた。「越えられない壁はないと思って毎日頑張っている。たくさん本塁打を打ちたい」と宣言した。【浜本卓也】

 ▼巨人が東京ドーム通算1000勝を達成した。初勝利は2試合目の88年4月9日ヤクルト戦(9-2)で、現役だった原監督が8回に満塁本塁打を放っている。通算成績は1000勝669敗27分け、勝率5割9分9厘となり、そのうち原監督が指揮した試合は448勝268敗21分け、勝率6割2分6厘。監督別では長嶋監督の319勝を上回る最多勝で、勝率も最高。12年の勝率8割1分など、原監督は東京ドームで高勝率を記録して7度優勝している。

 ▼村田の1発は、巨人選手が東京ドームで打った2121本目の本塁打。個人では阿部の193本が最多で、2位が高橋由の175本、3位が松井の146本。00年以降に巨人だけで100本以上打ったのが7度あり、今では本塁打量産球場だが、88年は巨人43本、相手32本の合計75本でセ・リーグ6球場の中では2番目に本塁打が少なく、89年の合計73本は最少と、完成当時は本塁打が出にくかった。