プレーバック日刊スポーツ! 過去の8月22日付紙面を振り返ります。1996年の1面(東京版)は、広島がタレント中條かな子との交際が明らかになった緒方孝市外野手(現広島監督)の2発でセ・リーグ首位に返り咲いた試合です。

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 <中日2-11広島>◇1996年8月21日◇ナゴヤ

 「コイの主役」大活躍でコイがよみがえった。広島緒方孝市外野手(27)とタレント中條かな子(23)のホットな交際が21日、明らかになった。結婚を前提とした親密交際で、今オフにもゴールインの予定。オメデタ発覚の緒方は、この日の中日戦で2回の逆転アーチを含む18、19号を放ち、チーム首位返り咲きの立役者となった。広島は、前夜手放した「セ界一」の座をたった一夜で取り戻した。

3位転落からたった1日で首位復帰。今季初めて8番に下がった緒方が放った2発のホームランがその原動力だった。

この日、中條かな子との熱愛が発覚した緒方。ゲーム前には「交際はしています。結婚? まだ何も決まっていないんですよ」と、困ったような顔をした。それがゲームになると表情はガラリ一変。獲物を狙う目で、大きな勝利を運ぶ2本のホームランで5点をたたき出した。

 「チャンスだから打ちたい一心でした」。2回2死一、二塁で門倉のカーブを左翼スタンドへ。これが逆転の18号3ランになった。「ストレートを狙っていたけど、変化球にも体がうまく回転しましたね」。意地もあった。8日の門倉との初対戦。8回を2点に抑えられた。その時、門倉はヒーローインタビューで言ったものだ。「広島ファンにはザマアみろってなもんですよ」。ナインもこれにはカチンときていた。完ペキなスイングは、ピッチャーが左腕・井手元に代わった6回にもサク裂。今度は、ロペスを一塁に置いて19号2ラン。

 今季初めて、緒方を8番に起用した三村サイ配がズバリと当たった。「スイングが小さく、硬くなっている。もっとゆったり振ってこい」。現役時代に自分がつけた背中の9番をポンとたたいて送り出した男が期待通りに働いた。

 球場ロッカー室でマネジャーが書き込んだスタメン表を確認しながら、三村監督は甲子園の決勝戦をテレビ観戦。松山商・沢田監督がライトの守備を代えて好守を呼んだ土壇場のサイ配にため息をもらした。「粘り強くやらなきゃだめだということだね。サイ配がズバリ決まるとこうなるんだね」。4時間後、今度は自分の勘がズバリ当たって驚くことになった。「緒方のホームランは効果的だったよ。昨日は負けたけど、うちらしいムードになっていたからね。これで、いい方向へ向かってきたんじゃないかな」。

 横浜に連敗した18日のゲーム後、広島・福山市内の宿舎で臨時の決起集会があった。正田選手会長が全員にゲキを飛ばした。「走る、打つ、守るとすべてのプレーを全力でやったオープン戦のころの気持ちに全員で戻ろう」。

 緒方も自分を取り戻そうとしている。「僕はヒットでも四球でも出塁して、どんどん走らないといけないんです。今度はそういう形でチームを盛り上げますよ」。熱愛発覚の日の大活躍にも「それは関係ない。全然、関係ないですからね」とむきになった。が、広島出身で大のカープファンという中條が、愛する男の号砲2発、そして勝利を一番喜んでいることは間違いない。

 ☆帰郷の度にデート

 テレビ関係者を通じて昨年緒方と知り合った中條は、順調に愛をはぐくんでいた。中條は地元の広島での仕事も多く、帰郷するたびにデートを重ね交際を深めてきた。カープの選手のほとんどが二人の交際を知っており、温かく見守っている。

この日は、神戸でテレビ東京系「いい旅夢気分」の収録に臨んでいた。緒方との交際については「ごめんなさい」を連発してコメントを避けたが、表情は明るかった。中條に代わって、所属事務所「アーティストハウスピラミッド」では「緒方選手とまじめにお付き合いしているのは事実です。かなり前に本人から報告を受けています」と交際を認め、「結婚についての報告はまだ受けていませんが、そうなれば心から祝福したいです」と付け加えた。

 ◆中條かな子(なかじょう・かなこ) 本名・矢川可奈子。1973年(昭48)3月4日、広島県出身。堀越学園卒。2歳から地元の子供モデルとして活動しスカウトされ上京。90年(平2)にビキニ族を結成しセクシーアイドルとして人気急上昇。91年6月に「天使の罠(わな)」で歌手デビュー。同年、27大学の学園祭に出演し学園祭クイーンに輝く。現在、マルチタレントとして活躍中。身長162センチ、体重48キロ。

 ◆緒方孝市(おがた・こういち) 1968年(昭43)12月25日、佐賀県出身。右投げ右打ち。走攻守そろった外野手。鳥栖高から86年ドラフト3位で広島東洋カープ入り。88年9月17日の阪神戦でプロ入り初本塁打で一軍デビュー。90年(平2)に一軍定着し、トップバッター“核弾頭”として活躍。95年には47盗塁で初の盗塁王を獲得。同年11月、鳥栖市の「市民栄誉賞」を受賞。180センチ、78キロ。

※記録と表記は当時のもの