今季限りで現役引退する選手の一覧。西武松井稼頭央外野手(42)広島新井貴浩内野手(41)巨人杉内俊哉投手(37)らが今季限りでユニホームを脱ぐ。

西武松井稼頭央外野手(42)

9月26日、球団から今季限りで現役引退することが発表され、27日に引退会見。「ここ数年、毎年1年勝負と思ってやってきました。特に今年、楽天を退団し、古巣に声をかけていただいて、自分の最後の勝負の年かなと思ってやってきました。(15日に出場選手)登録を抹消となり、そこで初めて自分と向き合える時間というか。そろそろ引退かな、やめる時がきたな、と思いました」

◆松井稼頭央(まつい・かずお)1975年(昭50)10月23日生まれ、大阪府東大阪市出身。PL学園では投手として甲子園に出場。93年ドラフト3位で西武入団。内野手に転向し、最多安打2度、盗塁王3度。02年に打率3割、30本塁打、30盗塁を達成。98年にパ・リーグMVP。03年オフ、メッツにFA移籍。06年途中でロッキーズへ移籍し、07年ワールドシリーズ出場。アストロズでは09年に日米通算2000安打達成。11年から楽天でプレー。今季は古巣西武に復帰した。日米通算2703安打(日本2088本、米国615本)。177センチ、85キロ。右投げ両打ち

引退会見で笑顔を見せる西武松井(撮影・河野匠)
引退会見で笑顔を見せる西武松井(撮影・河野匠)

オリックス小谷野栄一内野手(37)

9月27日、今季限りでの現役引退を表明。「心と体にギャップができて。もっとみんなと一緒にやりたかったのに、もう体が動かなかった。一番苦しいときに一番近くで見守ってくれたのが、福良さん。オリックスで胴上げできなかったのが一番の心残りです」

14年オフに日本ハムからオリックスにFA移籍。移籍4年目の今季は肘や膝などのケガに泣き、1軍出場は69試合にとどまっていた。中日松坂とは小6から江戸川南リトル、シニアで4年間チームメート。松坂には前日26日に電話で引退を報告。「『まだヒット打ってないじゃん』と言われました。そんなユーモアで返してくれて、さすが超一流の選手だなと思いました」と語り「松坂がずっとトップを走ってくれたから、それに食らいついていこうと思ってここまでやって来られた。松坂世代と呼ばれることは、誇りです」と感謝

引退会見を行ったオリックス小谷野(撮影・渦原淳)
引退会見を行ったオリックス小谷野(撮影・渦原淳)

ソフトバンク本多雄一内野手(33)

10月1日、今季限りで現役を引退することを発表

鹿児島実から三菱重工名古屋を経て、05年大学・社会人ドラフト5位でソフトバンクに入団。2年目の07年から二塁手のレギュラーを獲得。10年、11年は2年連続盗塁王。11年にベストナイン、ゴールデングラブ賞も11年、12年に獲得。13年には日本代表としてWBCにも出場

ソフトバンク本多雄一(2016年3月27日撮影)
ソフトバンク本多雄一(2016年3月27日撮影)

中日岩瀬仁紀投手(43)

10月2日、今季限りで現役を引退することを表明。「今年の成績を考えたときに、去年の契約更改の際に、去年の数字より悪くなるようなら引退すると言っていた。今年の成績が去年より良くないので、これ以上迷惑をかけるわけにいかない。引退すると決意した」と説明。30日に開催予定だった本拠地最終戦の阪神戦(ナゴヤドーム)が台風の影響で順延。その代替日程が決定次第、同阪神戦で岩瀬の引退セレモニーが行われる

◆岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)1974年(昭49)11月10日、愛知県生まれ。西尾東-愛知大-NTT東海を経て98年ドラフト2位で中日入団。1年目から中継ぎで65試合、10勝と優勝に貢献。最優秀中継ぎ投手賞3度。04年から抑えに転向し、最多セーブ5度。05年の46セーブはセ・リーグ最多記録。14年7月に史上初の通算400セーブを達成。99~13年まで15年連続で50試合以上登板。今季は投手コーチ兼任。181センチ、84キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸7500万円

引退会見を行った岩瀬(撮影・前岡正明)
引退会見を行った岩瀬(撮影・前岡正明)

中日荒木雅博内野手(41)

10月6日、ナゴヤドームで引退会見。「23年で現役生活を引退します。ありがとうございました。今年の開幕1軍を逃してから徐々に引退を考えた。入団した年が星野さんが2回目の監督をした年で、辞めるのが星野さんが亡くなった年。そのことが引退に拍車をかけたのかもしれない」

95年に熊本工からドラフト1位で中日に入団。01年から頭角を現し、レギュラーに定着した。04年から09年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞。井端(現巨人コーチ)とともに鉄壁の二遊間コンビを組み、「アライバ」と形容された。04年から3年連続ベストナイン。08年には球宴MVPも獲得した。16年には高木守道の球団記録を抜く370盗塁をマークしている。17年6月3日の楽天戦(ナゴヤドーム)で史上48人目の2000本安打を達成。プロ入り22年目での達成だった。今季は内野守備走塁コーチ職を兼任してスタート。今季は51試合に出場、77打数20安打、1本塁打、打率2割6分。プロ通算2219試合、2043安打、468打点、378盗塁、34本塁打、打率2割6分8厘(6日現在)

笑顔で引退会見を行った荒木(撮影・前岡正明)
笑顔で引退会見を行った荒木(撮影・前岡正明)

中日浅尾拓也投手(33)

9月26日、現役引退を表明「悔いはない。最後の巨人戦(16日、東京ドーム)で3点を取られたときに(自分は)これぐらいなのかと正直思った。登録抹消を聞いて、森監督からは来季に向けて頑張れ、と言われたが、自分から引退させていただきたいと話した」と説明。29日の阪神戦(ナゴヤドーム)で引退セレモニーが行われる

◆浅尾拓也(あさお・たくや)愛知県出身。日本福祉大から07年、大学生・社会人ドラフト3巡目で中日に入団。10、11年と2年連続で最優秀中継ぎ投手賞を獲得し、球団初のリーグ2連覇に貢献した。11年はMVPに選ばれ、先発で登板機会のなかった投手としては初のゴールデングラブ賞も受賞。通算成績は415試合に登板、38勝21敗23セーブ、200ホールド、防御率2・42。甘いマスクで女性ファンから絶大な人気を誇った

中日対阪神 引退セレモニーであいさつする浅尾(撮影・清水貴仁)
中日対阪神 引退セレモニーであいさつする浅尾(撮影・清水貴仁)

中日野本圭内野手(34)

9月27日、球団から今季限りで現役引退することを発表。「人としてたくさん勉強させていただいたし、結果本当にいいプロ野球人生を送らせてもらった」

岡山南高から駒大、日本通運を経て2009年にドラフト1位で入団。10、11年の2連覇に貢献、通算成績は448試合で打率2割2分4厘、9本塁打、83打点

中日野本(16年5月5日撮影)
中日野本(16年5月5日撮影)

広島新井貴浩内野手(41)

9月5日、マツダスタジアムで会見し、今季限りでの現役引退を発表。「若手が力をつけてきているし、3年後、5年後のカープを考えた時に、今年がいいんじゃないかと考えた」

◆新井貴浩(あらい・たかひろ)1977年(昭52)1月30日、広島県生まれ。広島工-駒大を経て98年ドラフト6位で広島入団。05年に球団タイの6試合連続本塁打。07年オフにFAで阪神移籍。08年5月に全球団から本塁打を達成し、北京五輪では日本代表の4番を打った。同年12月から12年まで労組プロ野球選手会会長を務め、11年の東日本大震災による開幕延期問題、12年のWBC参加問題などで奔走。14年オフ、阪神に自由契約を申し入れ広島復帰。16年4月26日にプロ野球47人目の通算2000安打達成。古巣に戻って達成したのは小久保(ソフトバンク)に次いで2人目だった。16年リーグMVP。05年本塁打王、11年打点王。ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞1度。阪神新井良太コーチは弟。189センチ、102キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1億1000万円。家族は夫人と2男

引退表明会見で笑顔を見せる新井(2018年9月5日撮影)
引退表明会見で笑顔を見せる新井(2018年9月5日撮影)

広島天谷宗一郎外野手(34)

9月27日、球団から今季限りで現役引退することが発表された。10月4日、マツダスタジアム内で会見。「何とか戦力になりたかったが今年は1度も1軍に上がれなかった。丸や野間がケガしたときに1軍に呼ばれなかったのが大きい。潮時かなと思いました」と決断への経緯を説明した

01年ドラフト9巡目で福井商から入団。俊足強打の外野手として期待され、08年には135試合に出場。10年8月22日横浜戦では、ホームラン性の打球をフェンスによじ登って好捕するビッグプレーで沸かせた。ただ、丸や鈴木ら若手の台頭により、ここ数年は出場数が激減していた

横浜戦の8回、ハーパーの大飛球をフェンスによじ登り好捕する広島天谷(2010年8月22日撮影)
横浜戦の8回、ハーパーの大飛球をフェンスによじ登り好捕する広島天谷(2010年8月22日撮影)

巨人山口鉄也投手(34)

10月5日、都内ホテルで現役引退会見。通算642試合を投げ抜いた自身の左肩に感謝を込めて「こんなに使うとはびっくりしたよ、お疲れさま」と言葉をかけ、労をねぎらった

◆山口鉄也(やまぐち・てつや)1983年(昭58)11月11日、神奈川県生まれ。横浜商を卒業後に渡米。米大リーグDバックス傘下ルーキー級に所属し、3年間で7勝。入団テストを経て05年育成ドラフト1巡目で巨人入団。07年4月に支配下選手登録される。08年に新人王、09、12、13年に最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。184センチ、88キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸2億2400万円

引退会見に臨んだ巨人山口鉄(中央)はサプライズで駆け付けたチームメートの、左から菅野、宮国、内海、沢村、1人おいて坂本勇、今季限りで引退する杉内、長野、村田氏らの祝福に笑顔を見せる(撮影・小沢裕)
引退会見に臨んだ巨人山口鉄(中央)はサプライズで駆け付けたチームメートの、左から菅野、宮国、内海、沢村、1人おいて坂本勇、今季限りで引退する杉内、長野、村田氏らの祝福に笑顔を見せる(撮影・小沢裕)

巨人杉内俊哉投手(37)

9月12日、都内ホテルで会見を行い、今季限りでの現役引退を表明。松坂について問われ「結局、松坂に勝つことなく、僕が先に引退してしまったので心残りではあります。これからは応援する側なので彼が1年でも長くできるように応援したい」。当面の目標は「バイクの免許を取りたい。大型バイクに乗ってね。どこに行こうかな。伊豆とか行きたいよね」

◆杉内俊哉(すぎうち・としや)1980年(昭55)10月30日、福岡県生まれ。鹿児島実では3年夏の甲子園でノーヒットノーランを達成。三菱重工長崎を経て01年ドラフト3巡目でダイエー入団。03年日本シリーズMVP。05年は最多勝利、最優秀防御率でリーグMVP、沢村賞。11年オフにFAで巨人に移籍。背番号18。12年5月30日楽天戦でノーヒットノーラン。最多奪三振3度、最高勝率2度。06、09、13年WBC日本代表。175センチ、82キロ。左投げ左打ち

今季限りでの引退を発表した巨人杉内は内海哲也からの花束に涙を見せる(撮影・足立雅史)
今季限りでの引退を発表した巨人杉内は内海哲也からの花束に涙を見せる(撮影・足立雅史)

巨人脇谷亮太内野手(36)

9月19日、涙なき「スマイル会見」で今季限りでの現役引退を表明。「僕なりの野球人生を全うできた。もうおなかいっぱい野球をしたなと思いがある」。最後にサプライズで亀井から花束を送られ笑顔。温かな人柄をにじませ、すがすがしくユニホームを脱いだ

◆脇谷亮太(わきや・りょうた)1981年(昭56)11月4日、大分県生まれ。柳ケ浦2年夏に甲子園でベンチ入り。日本文理大では4年時に全日本大学選手権で優勝しMVP。NTT西日本を経て05年大学・社会人ドラフト5巡目で巨人入団。09年CSでMVP。10年にセ・リーグ記録の15試合連続得点。12年は右肘故障のため育成契約も13年に支配下復帰。13年オフ、片岡治大の巨人FA移籍に伴い人的補償で西武に移籍したが、15年オフにFAで巨人復帰。177センチ、77キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸2000万円

引退会見で亀井(右)から花束を贈られ笑顔を見せる脇谷(撮影・たえ見朱実)
引退会見で亀井(右)から花束を贈られ笑顔を見せる脇谷(撮影・たえ見朱実)

巨人西村健太朗投手(36)

10月3日、東京・大手町の球団事務所で引退会見。思い出の試合は13年9月22日、リーグ優勝を決めた広島戦。「9回にマシソン、山口(鉄)さんと一人一殺で優勝を決めたことは心に残っている。緊張していましたけど、マウンドに上がるとファンの大歓声に支えられて、最後は三振で締めることができた」と原前監督時代の勝ちパターン「スコット鉄太朗」での1勝をかみしめた

◆西村健太朗(にしむら・けんたろう)1985年(昭60)5月10日、広島県生まれ。広陵では2年春から4季連続甲子園出場し、3年春のセンバツは優勝。03年ドラフト2巡目で巨人入団。07年から中継ぎとして活躍し、12年から抑えに転向。13年には球団新記録となる42セーブを挙げタイトルを獲得。184センチ、94キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸8600万円

今季限りでの引退を表明し、カメラに向かって手を振る巨人西村(撮影・鈴木みどり)
今季限りでの引退を表明し、カメラに向かって手を振る巨人西村(撮影・鈴木みどり)


BC栃木村田修一内野手(37)

9月9日、小山市運動公園で行われたBCリーグ栃木-群馬戦後に引退セレモニー。「心からBCリーグに来て1年間、野球ができてよかったと思っています。今日をもって私は現役を引退します」。今後については「(3人の)息子たちとともに勉強していくことが、たくさんある。息子たちを一人前の男にしていく父親としての役割を全うしながら、ともに前を向いていきたいと思います」

◆村田修一(むらた・しゅういち)1980年(昭55)12月28日、福岡県生まれ。東福岡では投手で98年甲子園に春夏連続出場。春は3回戦で松坂(横浜)と投げ合った。日大で野手に転向し、東都リーグ歴代2位の通算20本塁打。02年ドラフト自由枠で横浜入団。07、08年本塁打王獲得。11年オフにFAで巨人へ移籍し、12年からリーグ3連覇に貢献。ベストナイン4度(08、12、13、16年)ゴールデングラブ賞3度(13、14、16年)。08年北京五輪、09年WBC日本代表。昨年10月に巨人を自由契約となり、今年3月にBCリーグ栃木へ入団した。177センチ、92キロ。右投げ右打ち。

3人の息子から花束を贈られる栃木村田(撮影・林敏行)
3人の息子から花束を贈られる栃木村田(撮影・林敏行)

DeNA・G後藤武敏内野手(38)

9月10日、今季限りで現役引退すると発表。同22日横浜での中日戦でラスト打席。7回に代打で登場。「炎のファイター」の出ばやしで打席に入るとフルスイングを貫き、プロ最後の打席を空振り三振で終えた。引退セレモニーでは「第2の故郷である横浜に来てから今日まで、来年はないという気持ちでバットを必死に振ってきた」。横浜高の同級生である中日松坂とDeNA小池2軍外野守備走塁コーチから花束を渡されると、何度も「ありがとう」と繰り返した。胴上げで8度宙を舞うと、最後は「松坂世代の一員としていられたことに感謝して、今日引退します。ありがとうございました」と16年のプロ生活に終止符。涙ぐむ中日松坂から花束を渡され抱き合った

◆G後藤武敏(ごめす・ごとう・たけとし)1980年(昭55)6月5日、静岡県生まれ。横浜高3年に松坂らとともに甲子園春夏連覇。法大2年時には春のリーグ戦で3冠王。02年ドラフト自由枠で西武入団。03年開幕戦で西武の新人では史上初となる先発4番でプロ初出場。09年に内野手から外野手へ転向。11年オフに武山との交換トレードでDeNAに移籍。登録名を15年に後藤武敏G.、16年は後藤G武敏、17年はG.後藤武敏、18年はG後藤武敏に変更。176センチ、84キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1890万円

DeNA対中日 引退セレモニーで中日松坂(左)から花束を受け取り抱き合うDeNAG後藤(中央)。右は小池コーチ(撮影・滝沢徹郎)
DeNA対中日 引退セレモニーで中日松坂(左)から花束を受け取り抱き合うDeNAG後藤(中央)。右は小池コーチ(撮影・滝沢徹郎)

DeNA加賀繁投手(33)

9月10日、今季限りで現役引退すると発表「温かい声援を送ってもらったことで、持っている力以上のものを試合で出すことができました」。同21日のハマスタでの中日戦で引退登板。先発し1番打者の平田から三振を奪った

◆加賀繁(かが・しげる)1985(昭60)4月13日、埼玉県生まれ。埼玉平成では投手と内野手を兼任。上武大から投手に専念し、4年秋にリーグMVP。住友金属鹿島を経て09年ドラフト2位で横浜入団。10年3月26日阪神戦でプロ初登板。11年から中継ぎへ転向。右のワンポイントリリーフとして活躍した。通算成績は279試合に登板して12勝22敗、防御率4・03。182センチ、84キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸3100万円

DeNA対中日 ナインに胴上げされるDeNA加賀(撮影・滝沢徹郎)
DeNA対中日 ナインに胴上げされるDeNA加賀(撮影・滝沢徹郎)

日本ハム矢野謙次外野手(38)

9月28日、今季限りでの現役引退を表明。「私、矢野謙次はこのたび、現役生活を終える決断を致しました。巨人で約12年、ファイターズで約4年、両球団の方々には本当にお世話になりました。応援してくださったファンの皆様のご声援が力となり、16年もの間、プロ野球の舞台でプレーすることができました。ケガにより戦列を離れてリハビリ中であっても、試合後のライトスタンドで私の応援歌を全力で歌ってくださった巨人ファンの皆様のこと。札幌ドームで『来てくれてありがとう』と、笑顔で迎え入れてくださったファイターズファンの皆様のこと。忘れることはありません。才能に恵まれていたわけではない私を起用し続け、適性を見いだしてくださった素晴らしい監督、コーチ、スタッフの方々。尊敬できる先輩方。同い年の仲間。かわいい後輩たち。たくさんの人々に支えられて共に戦うことができた、本当に幸せな選手生活でした。残りあとわずかになりましたが、チームのために最後まで全力でプレーします。変わらぬご声援、よろしくお願い致します!」

16年間の通算成績は、758試合出場で打率2割6分1厘、29本塁打、153打点(9月28日現在)

16年7月、ソフトバンク戦でサヨナラの押し出し死球をうけた矢野(中央)はナインに祝福される
16年7月、ソフトバンク戦でサヨナラの押し出し死球をうけた矢野(中央)はナインに祝福される

日本ハム石井裕也投手(37)

9月22日、今季限りでの現役引退を表明。「栗山英樹監督には、厳しい場面でも、信頼して使ってもらった事に感謝しています。たくさんの仲間に恵まれて、ファイターズの選手でいられてとても幸せでした。14年間、本当にありがとうございました」

◆石井裕也(いしい・ゆうや)横浜商大高から三菱重工横浜クラブを経て、05年にドラフト6位で中日に入団。その後横浜(現DeNA)を経て、10年途中から日本ハムへ移籍した。ここまでの通算成績は329試合に登板し、19勝19敗。防御率は3・06。先天性難聴のハンディを抱え、左耳が聞こえず、補聴器を付けた右耳で聞こえるわずかな音だけを頼りにプレーしてきた。そんなハンディを抱えながらも、次々と三振を奪う投球スタイルを持つことから「サイレントK」と呼ばれた

日本ハム石井裕也
日本ハム石井裕也

ロッテ岡田幸文外野手(34)

9月25日、今季限りでの現役引退を表明。26日に引退会見。「悔いはなく、充実した野球人生だったと思う」と振り返り、他球団などでの現役続行の可能性については「10年前、千葉ロッテマリーンズに育成(選手)として拾っていただいて、ここまで10年間という長い間、現役生活を続けされていただいた。他でやるという考えは正直なかった」

◆岡田幸文(おかだ・よしふみ)1984年(昭59)7月6日、栃木県出身。作新学院-日大(中退)-全足利クラブ。08年育成ドラフト6位でロッテ入団。09年3月にロッテでは初めて育成選手から支配下登録された。11年に外野手のシーズン359守備機会連続無失策のパ・リーグ新記録。11、12年ゴールデングラブ賞。177センチ、70キロ。左投げ左打ち。通算成績は909試合出場、打率2割5分4厘、0本塁打、119打点、141盗塁。今季推定年俸3135万円。

引退会見でサプライズで福浦から花束を渡され、目に涙を浮かべたロッテ岡田(右)
引退会見でサプライズで福浦から花束を渡され、目に涙を浮かべたロッテ岡田(右)

ロッテ大隣憲司投手(33)

9月25日、今季限りでの現役引退を表明。26日に引退会見。「12年間のプロ野球生活、温かいご声援ありがとうございました。順風満帆なプロ野球人生ではありませんでしたが、いろいろな方々に支えられてここまでやってくることができました。心より感謝しております。本当にありがとうございました」

◆大隣憲司(おおとなり・けんじ)1984年(昭59)11月19日、京都府生まれ。京都学園-近大を経て、06年ドラフト希望枠でソフトバンクに入団。07年6月9日の広島戦で初登板(先発)初勝利。13年WBC日本代表。175センチ、89キロ。左投げ左打ち。通算は登板140試合で52勝49敗1ホールドポイント、防御率3・36。

引退会見で花束をもらい、笑顔を見せるロッテ大隣
引退会見で花束をもらい、笑顔を見せるロッテ大隣

ロッテ根元俊一内野手(35)

9月27日、今季限りでの引退を表明。「この13年間、たくさんの方の協力、支えがあってここまでやることが出来ました。今はただ、ただここまで支えてくれた皆様への感謝の気持ちでいっぱいです。いい野球人生でした」。根元は花咲徳栄から東北福祉大を経て05年大学・社会人ドラフト3巡目で入団。通算837試合に出場し、打率2割5分、31本塁打、204打点。27日午後にZOZOマリンで引退会見を行う

ロッテ・根元(18年8月19日撮影)
ロッテ・根元(18年8月19日撮影)

ロッテ金沢岳捕手(34)

9月27日、今季限りでの引退を表明。「最高のチーム、最高の仲間たち、最高のファンの皆様と一緒に16年も野球をすることが出来て、本当に幸せでした。今はとにかく感謝の気持ちで一杯です」。矢板中央から02年ドラフト6位で入団した金沢は通算176試合に出場し、打率2割3分2厘、1本塁打、27打点

ロッテ金沢
ロッテ金沢

ヤクルト松岡健一投手(36)

9月30日、引退発表。「ファンの皆様、14年間応援していただき本当にありがとうございました。良い時も悪い時も、皆様の声援で頑張ることができました。感謝しかありません。ありがとうございました」

04年ドラフト自由枠で九州東海大からヤクルトに入団。フォークを武器に中継ぎで活躍し、通算490試合32勝25敗4セーブ、防御率3・78。今季は13試合に登板し、5月12日DeNA戦では1勝を挙げて通算150ホールドポイントを達成

ヤクルト松岡(17年8月撮影)
ヤクルト松岡(17年8月撮影)

ヤクルト山本哲哉投手(33)

9月30日、引退発表。「ファンの皆様、9年間応援ありがとうございました。リハビリ生活で1年間投げることができなかったシーズンもありましたが、多くの方々に支えていただき悔いなくプロ野球人生を終える事ができました。今後とも東京ヤクルトスワローズに変わらぬご声援をお願い致します」

09年ドラフト2位で三菱重工神戸からヤクルトに入団。12年から3年連続で50試合以上に登板するなど中継ぎとして活躍したが、今季の1軍登板は3試合にとどまっていた。通算成績は227試合6勝11敗14セーブ、防御率3・07

ヤクルト山本哲哉(2017年7月9日撮影)
ヤクルト山本哲哉(2017年7月9日撮影)