日本ハム稲葉篤紀内野手が2000本安打を達成した。初安打はヤクルト時代のプロ1年目、95年6月21日の広島戦(広島市民)。プロ初打席で初本塁打を放ってマークした。当時の復刻記事。

 ヤクルトにスーパールーキーが出現した。ファームで鍛えられ、浅黒く日焼けしたドラフト3位稲葉篤紀内野手(22=法大)が初打席に入った。9連勝中の広島を相手に、首位ヤクルトはじり貧の3連敗中。その差2・5ゲーム。そんな切迫した場面で、この男はどでかいことをやってのけた。2回2死一塁、紀藤のカウント1-2からの143キロのストレートを右中間席中段にたたき込んだ。「バッターボックスで無心というか、ボールに集中できました。初打席であんなバッティングができるとは……」。打った本人も驚く公式戦初打席初本塁打。プロ野球34人目、ヤクルトでは7年ぶり3人目、そしてセ・リーグでは4年ぶりの大仕事となった。

 稲葉は4回にもヒットを放つと、9回にはダメ押しのタイムリーまで打ってのけた。オリックス・イチローとは同郷という因縁もあって打撃も影響を受けてイチローばりの「振り子打法」だ。新人として出場選手登録、即日一軍スタメンも大抜てきだが、その晴れ舞台で3安打猛打賞で勝利打点までさらった。

 そんな男が試合後はルーキーらしい初々しい青年に戻る。初のお立ち台で「無事に終わってホッとしてます」と、おっかなびっくりの様子でマイクに向かうと、今度は猛スピードで帰り支度にかかる。スパイクを脱ぐのもそこそこに、マスコットバットを抱えて監督、コーチ、チームメートの待つバスへ一目散。「皆さんを待たせては大変」と急ぎ足でグラウンドを突っ切る。いかにもプロ野球1年生という姿だった。

 そんな稲葉に野村監督も詩的なコメントを送った。「遠い東の空から興奮を運んできてくれた」。東京から広島へと駆け付け、チームに勝利をもたらした。稲葉が恐るべき実力を発揮し、ヤクルトは息を吹き返した。【井上真】

 ☆データセンター

 ▼ヤクルトの新人稲葉が初打席でいきなり本塁打。公式戦初打席初本塁打は今年のミッチェル(ダイエー)に次いで史上34人目。ヤクルトでは1985年(昭60)5月11日の青島(対阪神)88年4月8日のデシンセイ(対巨人)に次ぎ3人目だ。稲葉は第2打席と第4打席にもヒットを放ち、この日は3安打。初打席初本塁打の試合で猛打賞は83年の駒田(巨人)に次いで2人目だが、83年の駒田はプロ3年目。初打席本塁打と猛打賞でデビューした新人は稲葉が初めてだ。

 ☆稲葉篤紀(いなば・あつのり)

 ◆経歴 1972年(昭47)8月3日、愛知県出身。中京高から法大を経て昨年ドラフト3位でヤクルト入団。184センチ、79キロ。左投げ左打ち。

 ◆ファーム 「手元に置いて育てたいが今は実戦を積ませるのが本人のため」と野村監督がファーム行きを指示。20日時点でイースタン・リーグで43試合に出場、3割6分3厘は打率トップ。9本塁打、37打点と実力を発揮していた。

 ◆因縁 出身地の愛知・西春日井郡師勝(しかつ)町はイチローの故郷豊山町の隣町。中学時代は空港バッティングセンターで顔見知り。またこの日の広島バッテリーは紀藤が中京高、瀬戸が法大のともに先輩。稲葉自身も「何かの因縁を感じます」。