<楽天4-1日本ハム>◇10日◇Kスタ宮城

 あの夏がよみがえった。楽天田中将大投手(22)と日本ハム斎藤佑樹投手(23)のプロ初の先発対決が実現。06年夏の甲子園決勝で引き分け再試合を演じた2人の“再戦”に、Kスタ宮城は2万人超の満員となった。田中が9回1失点完投で自己最多タイ15勝目を挙げ、チームの連敗を3で止めれば、斎藤は4失点で4敗目を喫したがプロ初の完投。田中は「野球人として幸せ」。斎藤は「これが4年間の差だな」。東日本大震災から半年を迎える杜(もり)の都で、新たな好カードが誕生した。

 最高峰の舞台で初めて投げ合った。杜の都では季節外れ、32度以上の気温を記録したこの日。固唾(かたず)をのむ2万人以上の視線と、フィールドターフから立ち上がるかげろうが、2人の背番号18を包み込んだ。“あの夏”を思い出させる熱気の中、雌雄を決した2人。負けた斎藤は穏やかに笑い、勝った田中は顔をゆがめた。今、置かれている厳然とした立ち位置の差がそこにはあった。

 斎藤

 アウェーだなと思ったけど、その中で投げられたのは気持ち良かったし楽しかったですね。

 田中

 うまく投げられたけど…。ま~、9回!

 悔しいですね。

 斎藤は斎藤らしく、愚直にコーナーを突くだけだった。得点圏に走者を進めてから粘る。5回まで1失点にしのいだ。球が浮いたのは6回だ。2死二塁から3連続適時打を浴びて3失点。大切な中盤で主導権を奪われた。「0-1で行けば流れも違ってきたと思うんですけど。監督が投げさせてくれました。体力的にも問題なかったです」。反省点を挙げながらも、14試合目の登板で初めて8回、123球の完投。新人の安堵(あんど)があった。

 完封の勝ちどきを上げるはずの田中は、しゃがみこんでしまった。4点リードの9回。敵軍ベンチに座る斎藤の視線も浴びながら力みが出る。2死満塁を招くと、代打二岡に押し出し四球を与えた。「最後、締まらないのがダメ。僕らしいかな」と苦笑いした。「一番良かった」スライダーに「序盤と最後に投げた」スプリットも交え12奪三振。1点は失っても、最後は陽岱鋼にスプリットを3球連続で振らせ、第1ラウンドは貫禄勝ちだった。

 勝って不満、は田中のプライド以外の何物でもなかった。「連敗の嫌な流れを止めたかった。今日は絶対にモノにするつもりだった」。斎藤が早稲田の門をたたいた5年前から、楽天の屋台骨を支えていた。課される責任の重さが違うのは当然だった。

 今季の躍進を支える代名詞のスプリット。フォークボールを痛打された経験から握りを浅くし、手中に収めた。宝刀の土台であるフォークは「投手田中」の原点。駒大苫小牧高に入学した04年春ごろ、既に胎動があった。

 兵庫から来た田中を、茶木部長(当時副部長)が新千歳空港まで迎えに行った。北国はまだ冬。「着いたら将大が校庭に飛び出した。喜んじゃって。雪をほおばってたなぁ」。初めての銀世界に興奮を隠せなかった。香田監督は当初、田中を捕手としても育てていく方針だった。だが「遊びで投げてるだけ」と本人が言うフォークに驚いた。「ストンと落ちるすごい球だった」(香田監督)。決定的だったのは、高1秋の明治神宮大会。背番号「2」で出場し初戦は捕手。2戦目の羽黒(山形)戦で先発させた。フォークを捕手が捕れず失点したが「投手としての“モノ”を感じた」監督は大会後、田中に聞いた。「どっちやりたい?」。間髪入れず「投手です」。冬から投手専任となった。

 高2の秋。2人の運命が突然、クロスする。

 05年、明治神宮大会準決勝。初対決で衝撃を受けたのは、早実のエース斎藤の方だった。3-5で敗れたものの田中との投げ合いに「楽しかった」。心の底から出た言葉だった。早実・和泉監督は試合中にもらした斎藤の独り言が印象に残っている。「おもしれ~。こんなに面白い試合、したことがない」。試合後「全国で駒大苫小牧に勝つには何対何か?」という監督の問い掛けに「1-0です」と即答した。「斎藤は、明らかに自分より超えている相手と戦っているのが楽しかったんだと思う。でも楽しいだけじゃなく、いつか倒すという気持ちを持つ。その精神が彼を支えている」と和泉監督は話す。

 斎藤は田中について「5年前もいい投手だと思ったけど、それは今も変わりません」と言う。強敵に思えた田中に少しずつ近づいた。その努力は06年夏、甲子園で実を結ぶ。決勝戦での延長15回引き分け、そして翌日再試合でつかんだ深紅の大優勝旗。高3夏が終わったころ、斎藤は同居していた兄聡仁さんの前で田中の投球フォームをまねてみせた。当時の斎藤はグッと膝を折って力をためていた。対する田中は全身のバネを使って投げる。「良いピッチャーって、どういう投げ方をするんだろう」。相手の実力を認めているからこそ探求心が刺激された。

 迷いながらもプロではなく早大進学を選んだ斎藤。10代でプロの世界に飛び込んだ田中。別々の道を歩み始めたが、田中には後ろ髪を引かれる思いがあった。

 田中は振り返る。「高校時代にあれだけ応援していただいて、そのまま北海道でプレーできたらって考えるのは、当たり前。でもルールがある。入ったところでベストを尽くそう。そう思いましたね」。居場所は自力で確保すると決めた。「僕は楽天に入って良かった」と今は言える。「別の世界にいたので切磋琢磨(せっさたくま)とは違う。あまり意識はしてこなかった」と打ち明けながらも「いっぱいのお客さんの中で投げられたのは、野球人として幸せ」。歩んだ道に自信があるから、素直にこう言える。

 長い歳月を経て実現した今回の対決は、斎藤の負けじ魂に火を付けた。「これが4年間の差だなと素直に思いますね。この差を埋めるための努力をしていく価値を見いだせた。全く追いつけないものではない」。あのころと同じように追いつき、追い越してみせると心に決めた。

 勝敗を分けた6回の攻防は、これからの斎藤の課題を浮き彫りにした。2死三塁で小谷野を空振り三振に仕留め、マウンドでほえ、強引に流れを引っ張り込んできた田中。その裏、斎藤はピンチを切り抜けることができなかった。「ファンが楽しみにしてくれる勝負を続けていくために、自分の実力アップが必要だと思った。具体的には三振を取る能力ですね」。“先輩”田中が身をもって教えてくれた。今回、励ましの電話やメールで送り出してくれた早実時代の友人や、名勝負を期待する多くの人のためにも。プロの技を磨く。【古川真弥、中島宙恵】