毎日(現ロッテ)などで活躍し、2度の首位打者に輝いた榎本喜八(えのもと・きはち)氏が大腸がんのため、14日に都内の病院で死去していたことが29日、分かった。75歳だった。葬儀・告別式は既に執り行われた。

 榎本氏は1936年(昭11)12月5日東京生まれ。早実で3度甲子園に出場した後、55年にテストで毎日に入団した。高卒新人ながら、シーズン開幕から5番を打ち(高卒新人の開幕クリーンアップは2リーグ制以降、榎本1人)、139試合に出場。打率2割9分8厘、16本塁打、67打点で新人王に輝いた。

 山内一弘、田宮謙次郎らとともにミサイル打線の中核を成し、大毎がリーグ優勝を果たした60年に打率3割4分4厘で首位打者を獲得。抜群の選球眼と巧みなバットコントロールで「安打製造機」の異名を取り、史上最年少の24歳9カ月で通算1000安打を達成した。2000安打到達も史上最年少の31歳7カ月で、この2つはいまだに日本記録だ(日米通算2000安打では、イチローの30歳7カ月が最年少)。

 王貞治を育てた荒川博氏に学び、その後、合気道を打撃に取り込み、独自の技術を会得したことは有名。オリオンズで17年間プレーした後、72年に西鉄に移籍して、その年限りで現役引退した。実働18年で2222試合に出場、2314安打(歴代15位)、246本塁打、979打点、通算打率は2割9分8厘。ベストナインにも9度、選出された。引退後は野球界から離れ、「伝説の強打者」と言われていた。