<日本ハム8-1楽天>◇1日◇札幌ドーム

 有終の美で別れを告げた。日本ハム一筋21年の金子誠内野手(38)が、引退試合で1安打1打点2得点と奮闘した。楽天戦(札幌ドーム)に「9番遊撃」で先発フル出場し、先制のホームを踏み、犠飛で打点も挙げた。守備職人として3度のゴロ処理も軽快にこなした。試合後のセレモニーでは、背番号と同じ8度胴上げされ、現役生活に幕を下ろした。

 野球と添い遂げた。引退セレモニー。金子誠がわが子2人から花束をもらい、抱き締めた。長女暖佳(はるか)さん(12)を胸に迎え入れた。優しい笑みを浮かべ、泣き崩れた。声を震わせた。3万7000超の観衆の前でユーモアあふれ、悲しいスピーチをした。

 金子誠

 いろいろな人たちに支えられ、大好きな野球をやらせていただきました。本当に感謝します。自ら引退をする決断をして、ごめんなさい。金子誠の野球人生はファイターズという1本の川の流れに乗り、21年の時を経て大海原へ、たどりつきました。

 野球と完全燃焼で、お別れした。定位置の「9番・遊撃」で出場。激走で2度、生還した。3回には現役最後の安打を中前へ、7回には左犠飛で打点も挙げた。慕う後輩たちが大勝をプレゼントしてくれた。「幸せな1日でした。幸せな野球人生だったと思います」。野球にも、仲間にも愛されたラストゲームだった。

 野球を「習い事」と称する。ライフワークと位置付け、すべてをささげてきた。1球入魂し続けたグラウンドを離れても探求し、全身全霊だった。自宅リビングの70インチの大画面テレビを独占。出場した試合のVTRをチェック。再生、巻き戻し、再生…の連続。難解で専門的な解説も交え、家族は苦笑いしながら、迷惑がっていたという。それが、だんらんだった。球場を激励で訪問することも拒否。「チャラチャラ見に来るんじゃない」とポリシーを、最大の理解者たちにも押しつけた。ユニホームを脱いで父に変身しても、いつも野球に厳格だった。

 入団1年目は電話当番、先輩らの洗濯物の管理…。雑用の嵐に、面を食らった。2年目を終えた直後には一時、自らの意思で「引退」してすることも脳裏をよぎった。3年目で、花開かなければ大学へ進学し直す。悲痛な選択肢も設定して取り組んだ2年目のオフ。千葉・鴨川での秋季キャンプで連日の猛烈な特守で、向き合った。そのシーズンの途中から芽を出し始めた二塁手。練習後に宿舎へ帰ると倒れ込んだ。土と汗にまみれたユニホームを着たまま寝てしまい、翌朝に目覚めたことも何度もある。野球をいちずに極めた。

 若きころ、1度は身を引く覚悟を決めたが、努力で先延ばしした。この日、晴れの引退を迎えた。21年間、名バイプレーヤー。主役級が演じるドラマを、ひたすら引き立てた。支えてくれた清(さや)か夫人(41)にも引退後のささやかな老後の展望を、こう伝えたという。「オレがバイトでもしたら、生活はできるよね」。CS出場は自らの強い意向で辞退し信念通り、武骨に区切りをつけた。遊撃の守備位置で胴上げされ背番号と同じ8度、宙に舞った。終わるとその場で、あぐらをかき、右手で芝をなでた。「オチがつけられなくて」。野球と笑って、サヨナラした。【高山通史】