井岡一翔(26=井岡)が、念願だった3階級制覇を達成した。4月22日に8度防衛中だった安定王者フアンカルロス・レベコ(31=アルゼンチン)を2-0の判定で破り、WBA世界フライ級王座を獲得。「良かった、という軽い言葉では計り知れない」というほど、大きな喜びを味わった。

 昨年5月、IBF同級王者アムナト・ルエンロンにプロ初黒星を喫し、大きな挫折を味わった。「自分で好きで始めたボクシングで1度失敗して、これだけ惨めな思いは初めてだった」。それほどの屈辱を受けただけに、重圧をはねのけての勝利は格別だったに違いない。

 そんな井岡の復活劇を信じて疑わなかったのが、ジム関係者以外にもいた。高校と大学の恩師だ。井岡はアマ時代に105戦して10敗していたが、大阪・興国高ボクシング部の須藤秀樹監督は、高校1年時を振り返り「何回か負けていた。どれも、どっちが勝ってもいい接戦だった」と話す。だが、負けた後の行動が、他の部員とは違ったという。「意気込みが違った。気迫、力強さが他の生徒とは違う。練習で力を抜くようなこともなかった」と証言する。加えて「その時から、誰が見ても勝つ試合をせなあかん、ポイントでも差をつけて勝ち負けをはっきりつけることが大事だと、心していた感じがある」という。

 東農大ボクシング部の山本浩二監督も、井岡の悔しい敗戦を何度か見届けた。「ボクシングは勝つ時もあり、負ける時もある。一翔(井岡)の場合は、負けをバネにしたというより、追求する先が世界チャンピオンだったので、一心不乱にやってた。だからこそ、世界チャンピオンにもなれた」と話す。

 夢だった北京五輪出場を逃した時も、相当な挫折を味わったはず。当時も知る山本監督は「一翔も1人の人間、同じように涙を流しますよ。1つ1つの試合に全力で向かってますから。負けということがあれば、本人がそれだけの技術だったと反省し、力がなかったことで涙も流すでしょう。でも、それを克服して次のステップに行くことが大事。それは一般の社会人も同じ。一翔は切り替えが、すごく上手なんです。だから、負けても、その後に結果がついてくる」と、井岡の心の内側を語ってくれた。悔しい負けをエネルギーにする術を、アマ時代の10敗で培っていたのだ。

 プロ初黒星の屈辱、後がない重圧も乗り越え、再び日本ボクシング界の先頭集団に加わった井岡。伝説の新章は、これから始まる。【木村有三】