<プロボクシング:WBC・WBA世界ミニマム級タイトルマッチ12回戦>◇20日◇大阪・ボディメーカーコロシアム

 WBC世界ミニマム級王者の井岡一翔(23=井岡)が、WBA同級王者の八重樫東(29)との激闘を3-0判定で下し、日本初の世界2団体統一王者となった。国内最速7戦目で世界奪取した平成生まれ初の世界王者。ミニマム級ラストマッチで栄えある称号を手にした。今後は1階級上のライトフライ級(48・9キロ上限)で、年内の世界2階級制覇を狙う。井岡の戦績は10戦全勝(6KO)。世界王者同士の激しい打ち合いは、超満員の観客だけでなく、観戦した現役王者の魂も揺さぶるものだった。

 これぞボクシングという激闘を制したのは、WBC王者の井岡だった。12回終了ゴングが鳴り、八重樫と抱き合って健闘をたたえあった。勝利の採点を聞くと、腰に巻いた緑のWBCベルトに続き、黒いWBAのベルトを肩にかけた。ジャッジ3者とも2点差以内の大接戦。日本初となる統一王者の称号を、苦しんで得た。「本当にほっとした。最高やなと思う」。

 統一戦にふさわしい白熱の攻防だった。井岡は1回に強烈な右を浴びせ、八重樫の左目上をはらすことに成功した。4回終了時の公開採点はまったくのイーブン。中盤に左ジャブでポイントを重ねた。ただ、打ち返してくる八重樫を脅威に感じた。7回、はれが大きい八重樫に2度目のドクターチェックが入ると井岡は「止めてくれ」と願ったほど。9回には右ショートを浴びて腰が落ちかけた。

 試合5日前に38度の熱が出るアクシデントがあった。本調子ではなかった。それでも「日本ボクシング界を背負ってる」という使命感に燃える若武者は、負けられなかった。最後までわずかなリードを保って逃げ切った。「熱が出て、自分は運に見放されたかなと思った。正直、試合終盤は気持ちが折れかけた。最後まで気持ちで負けなかったのが勝因」と振り返った。

 控室に戻ると、父の一法トレーナー(45)に「ありがとう」と感謝を伝えて握手した。プロモーターとして統一戦を実現させ、その後も各方面と折衝した一法氏は試合10日前、睡眠不足などで緊急入院。それでも病室を抜け出し、指導してくれた。試合前最後のオフの17日は父の日。熱がある上に減量で体はフラフラだったが、自分で買ったアルマーニの白いTシャツを渡した。そしてこの勝利を最大のプレゼントにすると決めていた。

 井岡父子にはひとつの合言葉がある。「あの涙を忘れるな」。プロ転向後、リングに上がる前に必ず、父からこの言葉がかかる。東農大1年だった07年11月、全日本選手権決勝で敗れ北京五輪への道が断たれた。井岡は体育館の裏で号泣した。叔父を世界王者に持ち、エリートと呼ばれる井岡も挫折をバネにしてきた。

 減量苦は大きく、今回を最後にミニマム級は卒業。王座返上してアマチュア時代の主戦場だったライトフライ級(48・9キロ以下)に転級し、世界2階級制覇を目指す。標的候補はWBA同級王者ローマン・ゴンサレス(25=ニカラグア)。一法氏は「挑戦を受けてほしい」と32勝(27KO)全勝王者との次なるビッグマッチを熱望した。今年も大みそかに「井岡祭り」開催の可能性が浮上する。

 「ここは通過点。ボクシング人生は長くない。全力で走り続けたい」。井岡の目標は日本人未到の4階級制覇。さあ、一翔伝説の第2章へ-。わずか10戦で統一王者に駆け上がった23歳は、満を持して次のステージに向かう。【大池和幸】

 ◆井岡一翔(いおか・かずと)1989年(平元)3月24日、大阪・堺市生まれ。元世界2階級王者・井岡弘樹氏のおい。興国高で史上3人目の高校6冠王に。アマチュア通算95勝(64KO・RSC)10敗。08年に東農大を中退してプロ転向。昨年2月に国内最速7戦目で世界王座獲得。平成生まれで初の世界王者となる。身長165・6センチの右ボクサーファイター型。得意パンチは左フック。家族は両親と弟2人。