第72代横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が正式に誕生した。日本相撲協会は25日、春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議と臨時理事会を開き、稀勢の里の横綱昇進を満場一致で承認した。

 息子の晴れ姿に感じたものは-。横綱昇進伝達式には稀勢の里の父萩原貞彦さん(71)と母裕美子さん(61)も出席した。両親が語ったのは、横綱という地位に上り詰めたわが子への率直な思いと、両親ならではの覚悟だった。

 父貞彦さんは笑いながら言った。わが子に贈る言葉を問われて。「本音としては早く引退してくれと言いたい。相撲の時期が来ると私らはつらい。勝っても負けても」。昇進をただ喜ぶ姿はなかった。両親も、強い覚悟を背負っていた。

 相撲道への考え方は稀勢の里に劣らない。「相撲はいい体だったら、最初に試みるべき。国技ですから。伝統文化を具現化したもので、あとはない。男子に生まれてきたからには国技をやらせるのが義務」。土日の大相撲中継を見るのは当然。わが子には小2でまわしをつけさせた。そう仕向けた子が横綱に上った。

 なのに母裕美子さんは「横綱になるといろいろある。大関のままでずっとテレビに映っていてもらいたいと思っていた」と笑う。父は「好きな相撲を取るのは大関まで。これからは相撲協会の代表、ひいては日本国民の代表としてやらないといけない。重責を担う。日下開山(ひのしたかいざん)、天下無双を名実共に歩んでいただきたい」。あえて厳しい言葉を贈った。

 稀勢の里が「褒められたことがない」という父。言葉通り、口上には「あまりにもシンプルでしたね。皆さんの期待に応えてあげないと。少しぐらい難しい言葉を使ってもいいのに」。望むことにも「食欲がどうしても。ちょっと太りすぎ。もう少しやせて反応の良い体、感覚にしないと」。

 ただ、厳しい言葉こそ指針になった。昨年は琴奨菊と豪栄道が優勝し、大関陣でただ1人、優勝がなかった。そのとき「相撲は、1年に1回のほかのスポーツと違って年6回ある」と声をかけた。「心に響いたんじゃないですか。焦る必要はない、じっくりやっていこうと。1歩1歩前進しながらやっとつかんだ。昨年のうちに優勝しなくてよかった」と振り返った。

 そんな両親に稀勢の里は「頑丈な体、けがしない体をつくってもらってうれしい」と目を潤ませた。目頭が熱くなった裕美子さんは「家ではそういうことを言わない子。親冥利(みょうり)に尽きます」。この両親だからこそ生まれた新横綱だった。【今村健人】