関脇高安(27=田子ノ浦)の大関昇進が事実上、決まった。審判部が大関昇進を諮る臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、了承された。過去に理事会で見送られた例はない。その高安は大関照ノ富士に敗れて11勝4敗。来場所、優勝争いを演じることを誓った。また、昇進後もしこ名を変更せずに本名の「高安」で取ることを明言。31日に正式に「大関高安」が誕生する。

 最初はひたすら無言だった。負けた悔しさだけが込み上げた。高安は、照ノ富士に小手投げを食らった。支度部屋では、きめられた右肘を氷で冷やすだけ。ふがいない自分へのいら立ちがあった。その姿は、大関昇進を決めた場所の兄弟子稀勢の里とうり二つ。重い口を開いたのは、技能賞の表彰が終わった後だった。

 「素直に喜びたいですね。やっと終わったという気持ちが大きい。この15日間に懸けてきた。今は肩の力が抜けました」。ようやく、胸のつかえが下りた。

 「高安」。この本名のしこ名に誇りを持ってきた。発祥は大阪府八尾市。「高安一族はそこの武家につかえていたそうです」。当地には今も高安城や高安山(標高488メートル)があり、駅もある。ただ「いくさで負けて討伐隊に追われ、全国に散ったと聞きました」。

 角界の「高安」は茨城から名を上げた。当初、先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)は関取昇進時にしこ名をつける考えがあった。だが、父栄二さんが本名を希望すると、先代も受け入れた。「高安の高ははしごの髙。1段1段、上っていけばいい」。

 願い通り、1歩ずつ歩んできた。昨年九州では初めて大関とりに挑み、失敗した。「目が覚めた。大関は目指していたが、自信はなかった。でも、自分も挑戦していいんだという気持ちが強くなった」。2度目の挑戦で成し遂げた。「よく『しこ名をつけないと、力士になった意味がないのでは』と言われますが、これが自分のしこ名。1段ずつ歩く。引退するまで『高安』で行きます」と誓った。 13日目で日馬富士を倒し昇進を確実にした。ただ、それから2連敗もした。「2桁は勝てる。でも、貴重な星を1つ、2つ落として優勝から遠ざかる」。反省の言葉は視線の先にあるモノの裏返し。優勝、そして稀勢の里の姿がある。「しっかり追いかけて、いつか肩を並べてみたい」。また1段、はしごを上っていく。【今村健人】

 ◆しこ名が本名のままで大関になった力士 本名で入幕した力士は47年夏場所の岩平(元小結若葉山)を最初に、今年春場所の宇良まで45人。そのうち本名のしこ名で大関になったのは過去3人しかいない。最初は輪島で、そのまま横綱に上り詰めた。2人目は北尾。横綱昇進時に「双羽黒」にあらためた。3人目の出島は本名のまま引退した。