序二段の取組で力士が取組続行不可能と判断され、取り直しの一番を取ることができず不戦敗となる場面があった。

東序二段安西(やすにし、19=陸奥)と西序二段23枚目武士(ぶし、26=武蔵川)の一番で行司軍配は武士に上がったが物言いがついた。左足を負傷したためか、武士はぎこちなく立ち上がって土俵下に下り、審判団の協議が始まった。

2分20秒に及ぶ協議の末、場内説明を務めた時津風審判長(元前頭土佐豊)は「行司軍配は西方(武士)に上がりましたが、西方力士の膝がつくのと東方力士(安西)の体が飛ぶのが同時ではないかと物言いがつき、協議した結果、同時になりましたが、西方力士の膝が悪く、取り直しができないと判断し、不戦敗とし、東方力士の勝ちと致します」と話した。

同体と見なされ取り直しとなったが、武士が取組続行不可能と判断され、安西の不戦勝となった。

日本相撲協会は1月の初場所後に審判規則を一部変更しており「審判委員は、力士の立ち合いが成立する前に、相撲が取れる状態ではないと認めた場合には、協議の上で当該力士を不戦敗とすることができる」との項目を追加していた。

初場所10日目の幕下取組、湘南乃海-朝玉勢戦で、不成立となった立ち合いで頭がぶつかり合い、湘南乃海が腰から崩れ落ち、フラフラになって立てない場面があった。脳振とうのような症状を起こしていたが、審判団が協議した結果、本人の意思を尊重して取組をやり直した。その後、審判部では力士の安全面を考慮して、勝負規則の変更などの対策を検討していた背景があった。

審判部によると、同規則が適用されたのは初めて。取組後、審判長を務めた時津風親方は電話取材に応じ「(武士が)だいぶ膝を悪そうにしていたので不戦敗という判断になった。初めてだったので難しい部分もあったが、みんな(審判を務めた親方衆)で協議して決めた」と説明した。慣れないケースの場内説明だったが、よどみなく言葉を並べた。

同じく審判を務めた玉ノ井親方(元大関栃東)は、協議中に何度か武士に話しかけて状態を確認した。「膝がパキッと音がしていた。『大丈夫か?』って聞いたら、本人は『いや、ちょっと膝が…』と。相撲を取る以前の問題で、ああいうこと(規則変更)があってから、審判が決めることになっているから『審判長から話があるから聞きな』と言った。(武士は膝の痛みからか)顔が真っ青になっていた」と振り返った。

同じく審判を務めた片男波親方(元関脇玉春日)によると、同日中に伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)に同取組での事象を報告したという。片男波親方は「(同日中に審判部)全体に共有されると思う。(協議には)時間がかかったが、何とか対応できて良かった」と話した。

武蔵川部屋関係者によると、武士は左膝を負傷。歩行に松葉づえを要する状態だが、取組後に行った検査では骨に異常はなかったという。