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2004/08/10
第60幕 首位打者争いの陰に
昨年、イチローと首位打者争いをしたメルビン・モーラ(オリオールズ)が、今年もまたイチローの後にピタリとつけている(3割5分1厘=現地9日現在)。オリーオールズ(8月3日)とのダブルヘッダーで6打数6安打し首位打者に躍り出たイチローを目の当たりにしても、「別に驚かなかったよ。だってイチローだもの」とむしろ敬服した様子だった。自身は5月に4割2厘の高打率をマークして、しばらく首位打者の座に居座っていたが、その座は当然のごとく「イチローに奪われるもの」だと思っていたのだという。
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| 心酔するイチローの話には熱がこもる
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そればかりか、5月、6月に3割2分〜3分台の打率を行き来していたイチローが、一部で「いまひとつ調子に乗れてない」と言われたことに怒って、「信じられない。あれで不調だったらメジャーリーグの選手はみんな不調だよ」と言っていた。首位打者を争っているところから、「イチローにライバル意識を持っているか?」と尋ねても「彼とは競争できない」ときっぱり言い切る。その理由は「イチローがあまりにもすごすぎるから」だそうだ。これほどイチローに心酔する訳は…。
話は1992年にさかのぼる。モーラはこの年アストロズと契約。以来6年間、一度もメジャーに昇格することなく、マイナーでくすぶり続けていた。98年、アメリカで芽が出ないことに失望、「ここではもう2度とプレーしない」と台湾行きを決めてしまった。ところが、いざ台湾に渡って、自分がいた場所を振り返ってみると、そこがこれまでとは違ったものに映っていた。遠く離れてはじめて、アメリカやアメリカ野球の素晴らしさが見えてきたのだ。
「僕の居場所はここじゃない。もう一度あの場所に戻ろう」。再起をかけた強い思いが数字に表れた。開幕から2カ月、台湾プロ野球で3割3分5厘を打ったところで、メッツからマイナー契約のオファーがきた。その当時、台湾で話題騒然となっていたのが、オリックスのイチローだった。あっちでも、こっちでもイチローの話が出ない日はない。海外にまでこれほど名前をとどろかすとは、いったいどんな選手なんだろう。モーラはこのときからずっとイチローに出会う日を夢見ていた。
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| プロボクサーも目指したことがあるスポーツ万能選手
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その日は意外に早くやってくる。99年にメッツでメジャーデビューを果たしたモーラは、00年シーズン途中からオリオールズに移籍。01年にマリナーズに入団したイチローと対戦することになったのだ。打って、走って、投げて、守って、どれをとっても「すごすぎる」イチローのプレーをまざまざとみせつけられ、あ然とし、同時に心酔した。台湾で話題騒然となっていたわけも理解できた。この年、MVP、新人王、首位打者など数々の賞に輝いたイチローのプレーに少しでも近づこうと、あこがれにも似た思いで見つめていた。
「どんなに競争しても絶対イチローには追いつけない。だが、近づくことはできるはずだ」。それからのモーラは練習にもますます熱が入っていった。8月に入って、グングン打率をあげてきたイチローにひっぱられるかのようにモーラも調子を上げている。残り50試合余りになって、首位打者争いにも話題が向けられるようになってきた。だが現在2位のモーラはそっけない。「イチローとは競争できない。あまりにもすごすぎて。それより彼と争える、それだけでラッキーだと思わなければ」。これは決して負け犬発言などではない。ここまで言わせてしまうイチローのすごさ。そのすごさを素直に認めるモーラ。首位打者争いの陰に、すがすがしい男のドラマが潜んでいた。
野球ジャーナリスト 鉄矢 多美子
◎このコラムは毎週金曜日更新予定です
鉄矢 多美子(てつや・たみこ)

福岡県に生まれる。成城大在学中から、硬式野球部のマネジャーを務めるかたわら、ウグイス嬢の道に。1977年にロッテ・オリオンズ球団(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)に入社して、ウグイス嬢と広報担当を兼務。87年12月からフリーに。
野球のあるとこどこまでも、の精神で、日本国内はもとより、アメリカ大リーグをはじめ、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコなどに足繁く通う。将来は野球をモチーフにした一大スペクタル小説を書くのが夢。著書は「サミー・ソーサ 心はいつもホームラン」(集英社インターナショナル)「もっとカゲキにプロ野球」(講談社)、「素顔の野茂英雄」(小学館)、「熱球伝説」(岩波書店)。
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