|
2004.10.31付紙面より
|  |
| 写真=大ブレークしたころを自ら「のぞみ」に乗ってた感じ、と振り返る。今は「歩いている速度」と言う。今まで買ったアルバムの写真を自宅で見直したが、自然な表情の方が今の彼女に合っている気がした
|
| (撮影・川口晴也) |
 |
1万円ギターに始まり…今やドームを満杯にする歌姫
通称「ヤイコ」。愛する大阪を拠点に、世界を目指している。学生時代、ふと手にした1万円のフォークギターがスタート。4年前のデビューから走り続け、ドームを満杯にする歌姫に成長したが、どこかストイックに楽曲を追求するマイナー指向も持ち続ける。矢井田瞳(26)の不思議な魅力に迫った。
ライブ51本
今年のヤイコはライブざんまいだった。昨年も35本をこなしたが、今年のツアーは2月1日の和歌山を皮切りに、6月26日の札幌までやりもやったり51本。
「毎年毎年増やしていって。ついには365本になったらどうすんのやろって、笑っているんです」。
ハードな条件の中でも、ツアータイトル「YAIKO’ ROCKS 50ROUNDS」の通り、ロックなステージを展開してきた。最後のボーナスラウンドと名付けられたZepp札幌でのライブは、まさしく打ち上げ的ステージ。ヤイコが手品を披露したり、ティンパレスに水をはって水しぶきをあげたり、ステージと観客が一体になった。
「みんなと音楽だけでなく、生活もともにするわけですから、同じ時間に寝て一緒に昼ご飯を食べて。人間って近づいてきますよね。バンドメンバーだけでなく、スタッフとも。すごく人間味を感じられるツアーやった。やっててよかった」。
寝食をともにすると、うっとうしいこともありそうだが、ヤイコ組はいたって風通しがいいらしい。その秘けつは、だれもが言いたいことを言い合える仲だからだという。
「変にヒエラルキーみたいのがないんです。疑問に思ったことは、人間を通して伝言ゲームをしちゃうと、何か伝えたいことが途中で曲がったりするじゃないですか。ややこしくなることもあるので、うちらの場合は、いいたい人が直接その人に伝える感じなんです。あれはないよ、あれはいいよと。普通に感想を述べ合えるというか、みんなで同じ光を見ていたいというか。明日は今日よりもいいライブをしようって、そればかり考えていましたね」。
体育会系気質
00年5月に「Howling」でインディーズデビュー。同年7月にマキシシングル「B’coz I Love You」でメジャーデビューを果たした。その時のスポーツ紙の見出しが「ギター購入わずか2年 全国CDデビュー」。現在からさかのぼっても、初めてCコードを押さえた時から、たった6年で今のポジションに上り詰めた。そのギターを手にしたのは関大文学部1年の時。大学では音楽をやりたいと漠然と思っていた程度。音楽サークルに入ろうと見て回ったり、新歓コンパに参加したこともあった。ギターを手にしたのは、校舎の裏でギターを弾いている男性がかっこよかったから。でも、その男性の顔は覚えていない。手元ばかりを見ていたという。
「その足で、ギターを買いに行きました。ヤマハのショップに行って。1万円のフォークギターを買いました。今でも懐メロとか好きなんですけど、70年代のフォークソングが好きだったので、フォーク特集のコードブックを買って練習していました」。
だれもが壁にぶちあたるFマイナーのコードも、出血しながらマスターしたという。
「血筋が基本的に体育会系なんですよ。スポーツとか、今日はここまでやると決めたらやってから寝ないと気が済まないんです。もう夢中やったから。ギターを手にして、自分で曲をつくるのって、こんなに楽しかったんだって思ったんです。とにかく、ギターに夢中やった」。
好きなのと、それで食べていくのとは違う。好きなことで生活していける人は一握りしかいないことは分かっている。体育会系気質でギターも上達したが、曲をつくっているなんて親しい友人にも打ち明けはしなかった。それというのも、根っからの有言実行型人間だからだ。
「口にするのも恥ずかしいし、ずっと自分の中で抑えていました。あんまり人に言うと、逃げていきそうじゃないですか。その夢が。だから、言わなかったんです。うまく言えないけど、夢ばかりしゃべっている人って、あんまりかっこよくないじゃないですか。言う前にやれよってね。って思っちゃうんですよね」。
無言を貫いていたが、曲のストックがたまってきて、ようやくプロに聴いて欲しいという気持ちも芽生えてきた。アーティスト矢井田瞳が誕生した瞬間でもあった。
「この曲めっちゃいいんじゃん、とか1人で思っていたりして。もしかしたら、プロが聴いたら全然あかんとか。そういうことを考えた時から、こうやって生きていくんだろうなと信じていました」。
一国一城の主
デビューから4年。楽曲づくり、レコーディング、そしてライブツアーと猛ダッシュで走ってきた。ここにきてやっと、走っている自分の姿を確認できるようになったという。
「のぞみから、各駅停車に乗り換えられました。1つ1つの景色をながめながら、走れるようになったという感じです。あっという間の4年。すぐに戻れそうな気はするけど、無理なんやろうな」。
自分を見つめた上で、ライブにはますます全身全霊を傾けるようになった。それは、ライブステージには「音楽の神様」がいると信じているからだ。音楽には嫌われない自分でいようと、一生そうであろうと決めたのだという。
「魅力の1つにライブがあると言われるのは、ありがたいです。ライブなしの音楽活動は考えられませんから。一番ダイレクトに音楽で会話できる場所だと思うんです」。
ツアー終了後、2カ月の休暇をもらった。以前からの希望通り、気が向くままの生活を続けた。寝たいときに寝て、行きたいところに行き、会いたい人に連絡して会う。海外には出かけず、関西にいたという。大学時代の仲間とも会い、それぞれの道にまい進する姿に刺激も受けた。
「もちろん音楽仲間とは同じ感覚で話せるから楽しい。学ぶものもいっぱいあるし。音楽っていう、きりがないものにこう立ち向かっている意思がギラギラしていて楽しいですね」。
大物アーティストと会うでもなく、取り巻きを引き連れて飲み歩いたわけでもない。こんな普通っぽい日常から、普遍的な言葉の中に独特の記号のようなものが感じ取れる詞が生まれるのだろう。
「今やりたいこと? スタジオに入りたいですね」。
実は、大阪の自宅近くに小さなプライベートスタジオをつくった。マンション育ちだけに、だれにも遠慮せずに大きな音を出せるスタジオは、夢の空間。置いてあるのは電子ドラム、ミキサー、打ち込みのできるキーボード、パーカッション…。一国一城の主。ヤイコワールドの発信基地というわけだが、環境に反比例するように、楽曲づくりはよりシンプルになってきたという。
「今のスタジオって、できることがたくさんありすぎて、さみしいな、おもしろくないなって、思っています。人間同士の魂の交換を、バンドでアレンジャーとすることでつくり上げていきたいんです。そうすると、おのずとシンプルになっていきますね」。
普通っぽさ、シンプルさに加え、ヤイコを語るキーワードの1つが大阪だ。
「ずっと住み続けますね。ビビリなんです。東京にずっと住み続ける勇気は私にはないです。東京って、どっか、仕事する場所って思っているし」。
日本屈指の動員力を誇るスターに成長しながらも、実像には全く変化がない。こんなヤイコだからこそ、おそらくファンもデビュー当時と同じ距離感でその歌声を愛しているのだろう。
自分サイズ
FM802のDJ中島ヒロト(36) デビュー前は「曲ができた」って、原付でスタジオによく遊びにきていました。すごい気さくでかっこつけるところもなく、スタッフともすぐ仲良くなりました。それでいてソングライティングはすごい才能が感じられました。今はビッグな存在になっているけど、会うと昔と全く変わらない。大阪にいる時はラジオを聴いてくれて、メールとかもくれるんです。音楽もナチュラルで、自分サイズのところがいいですね。スタンスは変わらないんですが、曲も詞も深みが出てきていると思う。
◆年末ドーム公演 大阪12月18日、東京12月23日で、これが最後のドーム公演。ヤイコは以前から決意していたとして大阪ドーム周辺の振動・騒音問題との関係を否定し「よりダイレクトに音楽や空間を分かち合える環境でライブを続けていきたい」と話した。
◆矢井田瞳(やいだ・ひとみ) 本名同じ。1978年(昭和53年)7月28日、大阪府生まれ。関大文学部フランス語フランス文学科在学中の00年5月、インディーズレーベル(青空レコード)から関西限定シングル「Howling」でデビュー。同年7月にメジャーデビューし、10月発売のセカンドシングルの「My Sweet Darlin’」が大ヒット。初アルバム「daiya−monde」がアルバムチャート初登場1位に。今年12月には、2年ぶりのドーム公演(18日大阪、23日東京)が決定している。血液型A。
|