サッカー文化の定着。日本サッカー界が絶えず唱えている主張である。サッカー文化とは、欧州や南米のように、サッカーが生活の中に溶け込んでいて、サッカーを通じて子供を育てることを指していると思う。仲間との連係。主将のキャプテンシー。メンバー漏れした仲間への気遣い。ピッチに立つ選手の責任感。相手へのリスペクト。ルールを守る。応援してくれる人々への感謝の気持ち。数え切れないほど、サッカーを通じて学ぶものがある。

 Jリーグの浦和レッズ-鹿島アントラーズ戦で、浦和のある選手が、鹿島の選手に対して侮辱的な発言をした。試合が過熱する中、思わず出た言葉かもしれないし、相手を挑発する狙いもあったのかもしれない。発言した選手は言い訳をして、受けたチームは「差別」を強調して主張する。

 「勝てばいいのか」の主張もあるだろうし「勝負事にきれいな負けがあるのか」の意見もあるだろう。海外サッカー文化が日本全土に広まる時、サッカー独特の「マリーシア(ずる賢さ)」も入ってきた。勝っているチームがプレー以外の時間を増やす。過剰な痛がり。挑発発言。審判の目を盗んで相手の足を踏む、肘打ち。言葉の挑発。「勝利のためにマリーシアを見習うべきだ」との意見もある。

 約10年前、JFAアカデミー卒業生が、Jクラブからスカウトされたことがある。日本サッカー協会が「サッカーを通じた人材育成」を目標に掲げて立ち上げた組織が、プロ選手を排出したわけだ。その事実を当時の田嶋幸三専務理事が、犬飼基昭会長に報告した。「すばらしいことです」と、あまりにもうれしそうに報告する同専務理事に対し、同会長は褒めるどころか、雷を落とした。「JFAアカデミーはサッカーのプロを育てる組織じゃない。“サッカーを教わった子供たちが、こんな立派な大人に育った”というのを喜べ。方向性がまるで違う」と一喝した。

 今回、Jリーグのピッチ上で起こったことは、日本サッカー協会、Jリーグが目指す方向をもう1度示す大きなチャンスといえる。理想は「W杯で日本特有のきれいなサッカーで世界に勝つ」に違いない。しかしそれはあくまでも理想だし、欧州や南米のチームに、あらゆる手段を尽くしても、現実的には勝てない可能性の方が高い。

 今回の発言が挑発だとしたら、私は勝利のためのマリーシアは「あり」だと思う。しかしそれには重い責任が伴う。「警告を受けても、退場されてもこの試合は勝ちたい。流れを変えたい」と思った時にやればいい。そして、その行為による退場、社会的批判、試合後の重いペナルティーは、潔く受け入れればいい。それが嫌なら、やってはいけない。【盧載鎭】


 ◆盧載鎭(ノ・ゼジン)1968年9月8日、ソウル生まれ。96年入社。約20年間サッカーを担当し、97年と07年に浦和、03年に鹿島の番記者を務めた。