日本代表のMF本田圭佑(25=CSKAモスクワ)が、6月から始まるW杯アジア最終予選に向け、胸中を激白した。15日、成田空港着の航空機でモスクワから帰国。昨年9月の右膝手術以降は故障に悩まされ、9カ月ぶりの代表復帰になる。6月で26歳になる日本のエースは、2年後の14年W杯ブラジル大会に向け「俺が復活するというのは絶対」と宣言。戻ってきた本田が、再びW杯への道を歩み出す。

 絞った体を包み隠すように、本田はベージュ色のスーツを身にまとっていた。無駄な肉は一切ない。これまでよりたくましくなった体と、精悍(せいかん)な表情。昨年9月の右膝手術後は故障の連続だった。苦しいリハビリに耐え、9カ月ぶりに代表に戻ってきた。W杯最終予選は目前に迫っている。これまでの沈黙を破るように、胸にため込んでいた思いを語った。

 「ハッキリ言って、俺が復活するというのは絶対。俺自身、当然のことなんです。そういう強い思いは、ハッキリとした形で持っていないといけない。ケガをしても必ず、またやれる自信はありましたから」

 誰よりも、自分の復活を信じてきた。この日朝に成田空港に着くと、大勢の報道陣に囲まれた。サングラスの奥にあった視線は真っすぐ前だけを見つめ、一切歩みを止めずに二言三言だけ話し、迎えの車に乗り込んだ。向かった先は首都圏のリハビリ施設。約2時間、故障箇所のチェックを受けた。最後まで万全の状態にこだわった。

 「この9カ月、苦しいとは思っていない。足踏みをしたとも思わない。十分にプレーできていることが前進になるかどうかは分からないし、逆にケガしたことが何よりの前進になるかも知れない。結果的に、こうなったこと(長期離脱)を悲観してはいない」

 それは、何度も挫折を乗り越えてきた本田らしい言葉だった。どんな苦境も成長の糧にする。幼少時代からの信念がある。転んでも転んでも、石ころを握りしめて、また起き上がる-。今年1月31日にはセリエAの名門ラツィオの移籍が破談になった。その後も故障を再発。欧州チャンピオンズリーグ・決勝トーナメント、Rマドリード戦を欠場する不運もあった。夢にまで見た舞台。それでも「苦しい」とは言わなかった。

 「レアル戦に出て(今夏の)移籍に1歩近づいたというのは、人生設計において正しい考えかも知れないけれど、必ずしもそれが正解になるとは限らない。こういう状況で立ち止まって考えてみることもある」

 まずは昨年8月10日韓国戦以来となる代表戦、親善試合アゼルバイジャン戦(23日)がある。その先に最終予選3連戦が続く。本田不在の間、昨年11月北朝鮮戦、今年2月ウズベキスタン戦と日本はW杯予選2連敗。完全復活へ、全4試合に出る準備はしている。

 「この(リハビリに耐えた)方向性が間違っていなかったと信じている。いい意味でプラスに計算したい。決して悪い焦りではなく、いい焦りとして。自分を奮い立たせたい」

 本田の視線の先に、ブラジルへと続く道が、くっきりと見えた。【益子浩一】

 ◆本田の故障

 昨年8月28日のリーグ戦で、右膝を痛め交代。1度は日本代表に合流するも、すぐに離脱して9月1日にスペイン・バルセロナの病院で手術を受けた。その後、11月18日のリーグ戦で復帰。フル出場したものの、痛みが再発したため、再び離脱してバルセロナでの治療に専念。今年3月3日のリーグ戦に先発復帰したが、今度は左太ももを打撲。手術した右膝の状況も万全ではなく、3月14日の欧州CL決勝トーナメント、Rマドリードとの第2戦の遠征に同行しながら、自らスルツキ監督に欠場を申し入れた。今季リーグ戦は25試合8得点だった。