欧州遠征中の日本代表MF長谷部誠主将(28=ウォルフスブルク)が、所属チームで出場機会のない苦しい胸中を激白した。今夏、英プレミアリーグのクラブと移籍交渉が破談に終わり、今季は残留したウォルフスブルクで1試合も出場できていない。実戦から遠ざかっている苦境の中で、日本代表主将としてチームをどうけん引していくのか。代表合流直前のドイツで日刊スポーツの取材に激白した。

 長谷部の苦悩に終着は訪れなかった。8月末。イングランド行きの航空券を握りしめ、電話口で破談の一報を伝え聞いた。今夏の移籍市場が閉じ、ウォルフスブルク残留が決定した。1度は合意したはずだった。だから渡英の準備は整っていた。用意したトランクとともに、移籍への思いを静かにしまった。昨季1月末の冬の市場ではMF本田がCSKAモスクワからセリエAラツィオへ移籍するため、チャーター機まで用意されながら、まとまらなかったこともある。分かってはいたが、やり切れなかった。

 長谷部

 1回決まったけど、最後にもめた。「移籍はサインするまで分からない」と、もともと分かっていたけど今回あらためて感じた。ただもう終わった話。自分の中では終わった。

 数クラブとの話し合いの中、あるクラブと交渉がまとまるはずだった。マンチェスターUにはFW香川が移籍し、長谷部と同じタイミングでDF吉田がサウサンプトン入り。欧州最高峰とも言えるプレミアリーグに身を置きたかった。08-09シーズンにはブンデス優勝も果たした実績、10年W杯にはゲーム主将として16強入りした経験。28歳という現状を考えれば、ここが決断のときだった。

 長谷部

 イングランドでやりたかった。クラブに対して、人それぞれ価値は違うと思う。僕はドイツのほかのクラブに対して、興味は低かった。例えば、ある人には100万円のダイヤモンドでも、100円でも買わない人がいると思う。それと同じように、僕の中でクラブに対しても価値がある。

 より高いレベルを求める一方で、自身が出場できる場を探すジレンマ。さらに、移籍を模索することでリスクも生じる。昨季20試合に先発したが、13戦が右サイドバックで起用。本職のボランチでは1試合にとどまった。しかし、すでに5シーズン過ごし、クラブでの地位も十分ある。開幕までにアピールすれば定位置を獲得できたかもしれない。それでも8月、契約を2年残したウォルフスブルクからの移籍の意志を、マガト監督に申し出た。すべてを覚悟した上で。残留決定直後、トップチームでの練習参加は許されたが、開幕から7戦連続でベンチ入りさえもできていない。移籍の姿勢を見せたことで、完全に出番はなくなった。

 長谷部

 これは自分で決めた道。8月の移籍の期間にこういう状況になる可能性があることは、ある程度考えられていたこと。その中で自分が行動した。後悔はしていない。

 主力選手たちがアウェーに出発した本拠地フォルクスワーゲン・アリーナ。日本代表主将は敵地に行くことなく、ホームに残って控え組のみの練習に参加していた。控え組のための練習試合も組まれない。アウェー戦であれば前日練習からメンバーは不在。試合翌日も回復メニューになる。1週間のうち、3日間ボールを使わず、ひたすら走りのメニューを消化する。

 長谷部

 プロに入ってから、これだけ試合をしないことはない。試合勘というのか、コンディションというのか、フィーリングというものが「ある」とは言えない。もちろん練習の中で試合を想定してやる。いろんなところに気を使う。ボールを使えるときに、いろいろ頭使ってやらないと。ただ、試合となるとなかなか違う。試合体力とか。これだけ試合に出なくなると、感じることはある。今この状態でいいことは、僕の中ではない。

 対峙(たいじ)する11人、10人のチームメート。頭の中で試合を描きながら、限られた時間でいつもより多くボールを触り、感覚を思い出す。それでも試合に対する不安は拭い去ることはできない。プロ11年で培った経験と勘で乗り越えるしかない。8月の親善試合、9月のW杯最終予選イラク戦では不安視するザッケローニ監督は「驚いた」と予想外のプレーにホッとしていた。だが、イラク戦後、長谷部は「フィーリングが合うところと、合わないところがあった」と感覚のズレを認めていた。それでもウォルフスブルクで、そして日本代表で結果を残すことに集中している。

 長谷部

 今までは精神的に追い詰められると、胃が痛くなって、胃腸炎になっていたけど、今回はその気配がないっすね。胃が強くなったのかな。自分は強い人間ではないけど、それは間違いなく、精神的にプレッシャーを乗り越える経験はしてきた。心が折れることはない。へこんだり、ふてくされたり、そういう意味のないことはしない。【取材、構成・栗田成芳】