J1上位の予算規模の横浜がクラブを象徴する拠点からの撤退を決めた。年間5億円を超える維持費を抑えるため、トップチームと同じ敷地で下部組織が活動する理想的な施設から移る皮肉な結末を迎える。

 マリノスタウンの設立時はグッズ販売店など周辺施設の売り上げで、独立採算も可能との計画だった。しかし、2008年のリーマン・ショック後は、ほぼ青天井だった親会社の日産自動車からの補填(ほてん)が見込めず、Jリーグのクラブライセンス制度導入により甘い目算が許されなくなった。

 10年に嘉悦社長が就任してからのクラブは自立した経営を目指す。14年に債務超過解消のため、日産自動車から10億円を穴埋めしたが、それ以外は過度の依存を避ける。独力での黒字体質転換へ、決断は避けられなかった。