明日11日、東日本大震災から6年を迎える。清水エスパルスMF金子翔太(21)は、JFAアカデミー福島の出身で、震災時までサッカー施設Jヴィレッジ(同県楢葉町、広野町)を拠点にしていた。今年1月には、東京電力福島第1原発(大熊町)の事故現場を初めて視察。11日に行われるアウェー・アルビレックス新潟戦を前に日刊スポーツのインタビューに応じ、福島への思いを語った。

 -今年1月10日、日本プロサッカー選手会、日本サッカー協会、Jリーグが福島第1原発とJヴィレッジの視察を実施。元日本代表DF岩政大樹(35)らと福島を訪れた

 「オフでしたが、打診を受けてぜひ行きたいと思いました。高速道路に放射線量の表示があったり、原発の敷地内に入るセキュリティーが厳しかったり、すごく生々しかった。施設では何千人も働いていて、復興は進んでいると感じました。現場に行かないと分からないことがたくさんある。行ってよかったです」

 -震災当時は中3。この6年間は

 「あれから6年がたったと思うと、早いですね。震災の日は(中学の)卒業式でした。すごく揺れて、もう本当に怖かった。寮の外に出たら目の前は地割れで、原発からは煙が上がっていた。部屋はめちゃくちゃだし、テレビを見たら津波の映像。今は、小さい地震でも敏感になっていますし、家にも車にも非常食を用意しています」

 -福島県外へ避難している子どもへのいじめ問題など、影響は続いている

 「(いじめは)あってはならないことだと思います。僕は、JFAアカデミー福島の一員として(移転先の)静岡県や御殿場市、三島市、時の栖さんに本当に温かく迎えてもらった。学校も寮も移って来て、サッカーをやらせてもらった。感謝を持ってプレーしないといけませんし、僕は『福島』という名前に、誇りを持っています」

 -サッカー選手としての思いは

 「この前、ふたば未来学園高(双葉郡8町村の教育の復興を目的に、15年4月に開校)の子が三保グラウンドまで来てくれたんです。遠い地から僕を応援してくれているんだと思って、感動しました。そういう子たちに、僕らが希望を与えられる存在でもあるので、自覚や責任を持ってやらないといけないとあらためて思いました」

 -Jヴィレッジは、原発から約20キロ。復興計画も進んでいる

 「楽しみだけど、不安もあります。(再開しても)人が来ない可能性もあるからです。なので、選手会だけじゃなくて、自分でもアクションを起こしたいです。僕が活躍して有名になったら、活動が表に出るし、またプラスになります。サッカー界全体で支援ができたらと思います」

 -震災後初めて3月11日に試合が開催され、黙とうも行われる

 「特別な気持ちがあります。『何も考えずに臨め』と言われても無理です。硬くなっても仕方ないけど、自分の中で特別な日。全力でプレーして、僕がゴールを決められたら最高です。清水の勝利と自分のゴールが記事やニュースになって、福島の方に元気を与えられたらと思います」

 清水がJ1に復帰した今季、金子は開幕から2試合連続で先発出場。福島を思い、11日のアウェー新潟戦に向かう。【保坂恭子】

 ◆金子翔太(かねこ・しょうた)1995年(平7)5月2日、栃木県生まれ。今市第三カルナヴァル-JFAアカデミー福島を経て、14年に清水入り。15年8月に栃木へ期限付き移籍し、16年に復帰。163センチ、58キロ。利き足は右。家族は両親と兄。血液型O。