<富士ゼロックス・スーパー杯:広島2-0横浜>◇22日◇国立

 16年リオデジャネイロ五輪代表に期待される2人が、今季最初の公式戦で結果を出した。広島(昨季J1王者)が横浜(同天皇杯王者)に完勝。MF野津田岳人が先制点、途中出場のFW浅野拓磨がダメ押し点を挙げ、ともにプロ2年目で五輪を狙える19歳が2年連続3度目の優勝に貢献した。J1で3連覇を狙う広島が最高のスタートを切った。

 広島の19歳コンビが、昨季公式戦3戦全敗だった横浜を粉砕した。最高の見せ場は後半21分。エース佐藤と途中交代したFW浅野が、MF野津田のスルーパスに反応した。元日本代表DF中沢を置き去りに、右足で1タッチの芸術ゴール。「自分が抜け出したら(野津田)岳がシュートを打ちやすいボールをくれた」と公式戦初得点を喜んだ。

 針の穴を通すパスを配球した野津田は、前半6分に左足で先制点を決めていた。「最高。(浅野)拓磨に負けたくなかった」。日本代表経験のあるMF高萩を抑えて勝ち取った先発で全得点に絡んだ。2人は元日の横浜との天皇杯決勝で途中出場したが完敗し、号泣した。森保監督は「天皇杯の時は2人とも全然ダメだった。あの経験を踏まえて素晴らしいプレーをしてくれた」とたたえた。

 2人は強烈なライバル関係にある。昨季、野津田はJ1で20試合4得点と大活躍。浅野の出番は1試合だけで「点取ってる岳を見ていたら自分に腹が立った」。しかし今年1月、リオ五輪を目指す手倉森監督率いるU-21(21歳以下)日本代表に選ばれ、U-22アジア選手権に参加したのは浅野だけだった。五輪、そして互いの存在が発奮材料だった。

 “広島の母”へ捧(ささ)ぐ、勝利でもあった。20年以上も選手らの面倒を見てきたクラブ職員の沢山文枝さん(享年62)が突然病に倒れ、今月10日に急逝。宮崎キャンプ中で葬儀に出ることはかなわなかった。この日は全員が喪章を着けて臨んだ。野津田は「いろんなことを教えてくれたお母さん。感謝している人だったので自分が(得点を)決められてうれしかった」と胸を張った。

 広島は日本代表選手がほぼ毎年のように、移籍で抜けていくが、育成で抜かりはない。J1では09年鹿島以来2クラブ目の3連覇へ、そしてアジア一を誓うACLへ、最高の若手2人が並び立った。【辻敦子】

 ◆浅野拓磨(あさの・たくま)1994年(平6)11月10日、三重県・菰野(こもの)町生まれ。7人兄弟の三男で、菰野町立八風中-四日市中央工へ。高校2年の全国高校選手権で準優勝し、7ゴールで得点王。13年広島入り。171センチ、70キロ。

 ◆野津田岳人(のつだ・がくと)1994年(平6)6月6日、広島市生まれ。シーガル広島FCを経て中学から広島の下部組織へ。高2でトップ登録され、高3の12年にJデビュー。175センチ、69キロ。