J2磐田の礎を築いたヤマハフットボールクラブ元社長の荒田忠典(あらた・ただのり)氏が11日、浜松市内の病院で死去した。81歳。12日、クラブが発表した。通夜は13日午後6時から浜松市中区住吉1の11の23、イズモ葬祭

 イズモホール浜松貴賓館。告別式は14日午後1時、同所で。喪主は妻敦子(あつこ)さん。

 荒田さんは早大卒業後の64年、ヤマハ発動機に入社。72年に磐田の前身となるヤマハ発動機サッカー部の発足に尽力した。95年にヤマハフットボールクラブ社長に就任。2001年に退任するまで、7年間にわたりクラブ強化に努め、元ブラジル代表のドゥンガ氏、元イタリア代表のスキラッチ氏ら大物選手を獲得。磐田の黄金期を支えた。

 名波浩監督(41)は練習後「現場、フロント、サポーターの三位一体のチームビルディングをつくりあげた方」と、故人の死を悼んだ。9月に監督に就任した際、荒田さんは病床で直接あいさつに出向くことはできなかった。チームはJ1昇格に向け佳境を迎えている。奥大介さん(享年38)に続く悲報に「亡くなった方々にもいい報告ができるようにやっていきたい」と誓った。