平山姫里有さん(左)と立野在さん①

敬語、ため口、敬語・・・月2回ペースの指導

巡り合わなければ、今頃、氷に立っていなかった。

フィギュアスケートで男女が1組になって演技を行うアイスダンス。20年春、岡山に1組のカップルが誕生した。

地元で生まれ育った21歳の平山姫里有(きりあ)と、神奈川生まれで東京育ちの23歳立野在(ある、ともに倉敷FSC)。視線の先には22年北京五輪がある。

平山姫里有さん(左)と立野在さん②

手を取り合うきっかけは2年前、18年11月だった。ある日、東京にいた立野は平山が練習する「岡山国際スケートリンク」へ出向いた。長年アイスダンスの指導者として活躍する有川梨絵コーチ(39)のアシスタントという役回りだった。

指導は月に2回ほどのペース。その「有川チーム」にいたのが、当時別のパートナーと活動していた平山だった。1学年上の立野は「敬語じゃなくていいよ」とほほえんだが、打ち解けるまでに時間を要した。

「指導している期間中にちょっとずつため口になるんですけれど、次に岡山に来たら姫里有は敬語。振り出しに戻っていました…」

隣に座る平山が笑った。

「コーチですし…。それまで全然、関わりがありませんでした。互いに存在を知っているぐらいでした」

モントリオールで再び負傷・・・立野の絶望感

その3カ月前まで、立野は競技者だった。シニアデビューを果たしたのが前年の17年。秋のシーズンに向けて準備していた同年5月、練習拠点のカナダ・モントリオールのリンクに、うなり声が響いた。演目の振り付け中に、急激に負荷がかかった左肩が外れた。関節唇の損傷と診断された。

立野在さん

「痛かったです。多分、1度の脱臼であれば、大したことなかったと思います。そこから振り付け中だけで2~3回外れました。中がぐちゃぐちゃになった」

視界にはシニアの国際大会デビューがあった。サポーターを装着し、痛み止めを飲んで競技を続けた。12月の全日本選手権で3位に入り、1つの目標だった18年1月の4大陸選手権で11位。補欠だった2月の平昌五輪出場の可能性が消えた後、日本で手術を行った。

また上を目指せるぞ-。段階的なリハビリを終えた夏、前向きな気持ちでパートナーの待つモントリオールに戻った。8月2日の初練習。1時間経過したところで、再び左肩が外れた。

「不安感は全くなく、普通に滑っていたら、普通に外れました。絶望感です。『半年のリハビリは何だったんだ…』となりました」

今度は損傷ではなく、剥離だった。医師には「もしリハビリで外れたら、手術しかない」と告げられた。だが、そのリハビリ中に再度外れた。2度目の手術になれば「今後の生活にも影響が出る」と聞いていた。

「引退したいな」悩む平山に立野が動いた

平山姫里有さん

「体と一緒に気持ちが切れました。『もう、できねぇんだな』って思って…」

後ろ髪を引かれる思いで、現役引退を受け入れた。日本に戻り、有川コーチに「もしお手伝いが必要であれば呼んでください」と連絡を入れた。そうしてアシスタントコーチとなった。

指導者の立野と、教え子の平山-。その関係で1年ほどが過ぎた。19年の年の瀬、平山も人生の転機を迎えた。全日本選手権終了後にカップル解散を決めた。

「当時のパートナーが就職。私も『引退したいな』となっていて…。今年1月は全く滑りませんでした」

周囲はそろって反対した。その1人が立野だった。肩の調子が上向きで、現役に対する思いが再燃していた。「続けませんか?」。有川コーチを通じて、平山を誘った。

「自発的に『北京五輪に行きたい』と心の底から思いました。それに『姫里有がやめるのは、もったいない』とも感じていました」

「在くんがいなかったら確実にやめていた」

2月、試験的に2人で滑った。平山の気持ちは変わらなかった。「やっぱり引退する」。少しの可能性に懸けていた立野も、うなずくことしかできなかった。

一方、平山も悩んでいた。自問自答の日々だった。

「自分でやめる理由を探していました。母には『アイスダンスが嫌い、となって終わるより、自分が納得して終わる方がいいんじゃない?』と言われました」

平山姫里有さん(左)と立野在さん⑤

考え抜いても決められなかった。続けるにも、やめるにも覚悟が必要だった。意を決し、広島・福山市に向かった。最後の一押しを求め、初めて占いに頼った。スケート人生を知らない第三者の占い師に「やった方がいいよ」と言われた。熱烈に誘ってくれていた、立野の顔が頭に浮かんだ。

「『やるって腹をくくったら、やれる』とは思っていました。在くんがいなかったら、確実にやめていました」

引退の2文字と隣り合わせだった2人が、新カップルとして結ばれた。互いのアイスダンス人生が、初めて交差した瞬間だった。(つづく)【取材:松本航、撮影:横山健太】

◆「Unlim」への参画
平山・立野組が練習するリンクの利用料金は、貸し切った場合は1時間半で3万6000円。仮に2人で折半すると1万8000円ずつになる。貸し切り費用をまかなうため、彼らはそれぞれがカフェでアルバイトを行っている。現在は大会前を中心にリンクを貸し切って練習するが、平山は「普段は(費用が)高いので、一般営業だけで練習する日が多いです」。

一般営業で滑走する場合、カップル競技は他の利用者の安全面を踏まえ、練習の制限を余儀なくされる。立野は「練習の選択肢を増やすことができれば、僕たちにとって、とてもありがたいです」と成長への意欲を示し、スポーツギフティングサービス「Unlim」への参画を決めた。

◆「Unlim」とは 
スポーツギフティングサービス「Unlim」は、「競技活動資金に充てさらなる強化をしたい」「競技の普及につなげたい」「スポーツ全体の発展に努めたい」「スポーツで社会貢献をしたい」など熱い思いを持つアスリートやチームに「寄付」という形で金銭的に支援するサービスです。下記バナーからアスリートへの応援ができます。

プロフィル
平山姫里有(ひらやま・きりあ)
◆平山姫里有(ひらやま・きりあ)1999年(平11)3月31日、岡山・倉敷市生まれ。小1でスケートと出会い、小4でのアイスダンス挑戦をきっかけに岡山市へ引っ越した。有川梨絵コーチに師事。18年全日本選手権ではアクセル・ラマッセ(フランス)と組んで2位。19年は石橋健太とのカップルで同3位。趣味は料理。150センチ。
立野在(たての・ある)
◆立野在(たての・ある)1997年(平9)8月29日、横浜市生まれ。物心がついた頃には都内で暮らす。スケートは小3で本格的に始め、小6でアイスダンスに転向。深瀬理香子とのカップルで14年から全日本ジュニア選手権3連覇。シニア1年目の17-18年シーズンは全日本選手権3位、4大陸選手権11位。18年夏に左肩の故障で現役引退。今季から平山とカップルを組んで復帰。170センチ。