2015年9月19日、日本ラグビーの歴史が変わった。W杯イングランド大会1次リーグ初戦でエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC)率いる日本代表が、優勝候補の南アフリカを破った。あれから19日で1年たった。1大会3勝という大躍進のW杯を経て、何か変化はあったのか? 3年後には地元でW杯を迎える中、日本ラグビー界を支えるキーマンたちに聞いた。【日刊スポーツ取材班】

 この1年は難しい期間でした。代表HCの変更に加え、スーパーラグビー(SR)参戦も初めて。ただ新たに就任したジョセフHCの来日の遅れはあったが、16年は「準備の年」と捉えていたので想定内です。

 逆に想定外は、予想以上にW杯までの疲労が選手に残っていたことだった。エディーの時の合宿では長い拘束があった。鍛えられて結果は残したけど、払った犠牲は本当に大きかった。それを消すまでの期間は数カ月などでは足りなかったのだろうと感じた。W杯以上の刺激が見つからないもどかしさもあったと思う。南ア戦以上の興奮は人生でなかったわけですから。

 あの4年間を繰り返すことはできない。もう1度やったら選手は壊れる。さらにSRにも参戦して、今の日本は試合がない月がない。同じやり方は続けられない。変わらないといけない状況下でジョセフHCは対話型の指導者。トップダウンの色が濃かったエディー・ジャパンで、選手たちが求めていたものでした。

 SRで強豪チームと年間15試合を行えるのは、エディー・ジャパンの時にはなかった機会です。ただ参加してみて、試合数が増えすぎているという課題も出た。トップリーグ側と議論し、SRでもいかに休ませるかという話をジョセフHCともしている。最も大切なことは、19年に選手を最高の状態で送り出すこと。あの南ア戦の勝利はすごいが、世界ではもうインパクトはなくなっている。余韻に浸ってはいられない。

 ◆薫田真広(くんだ・まさひろ)1966年(昭41)9月29日、岐阜県各務原市生まれ。岐阜工高-筑波大-東芝府中。フッカーで代表キャップ44、W杯3度出場。02年に東芝の監督に就任し、トップリーグ3連覇。エディー・ジャパンのアシスタントコーチも経験。