20年東京五輪に向けた新たな戦いは始まっている。日刊スポーツでは、4年後の主役を目指すアスリートたちのインタビューを今日29日から随時、掲載する。第1回はリオデジャネイロ五輪の競泳男子400メートル個人メドレー銅メダルの瀬戸大也(22=JSS毛呂山)。28日、東京・羽田空港からW杯開催地の北京に向けて出発した。当初はメンバー外だったが、日本水連に直訴し自費で参加。4年後の複数金メダル獲得を誓った。

 あと4年ではない。

 瀬戸 東京五輪開幕まで4年を切った。もう3年10カ月しかないんです。

 リオから1カ月。スマホの待ち受けは東京五輪のエンブレムに変更。頭には、もう東京しかない。

 リオ五輪は絶好調で迎えた。競技初日の8月6日。男子400メートル個人メドレー予選。ライバル萩野公介に「先制ジャブを入れる」ため4分8秒47の自己ベストでトップに立つ。だが、9時間後の決勝前から体に異変が起きていた。

 瀬戸 頭痛との闘い。頭が痛く、レースどころではない。集中できなかった。

 もともと予選は余力を残し、決勝で爆発させるスタイル。自己ベストを出した予選の疲労は想像を超えていた。

 瀬戸 最後の自由形のときは腕がパンパンだった。

 金の萩野とは3秒66差の4分9秒71の銅。その夜は悔しさから一睡もできなかった。

 瀬戸 五輪前は「公介とワンツーフィニッシュしたい」と言っていた。もちろん金メダルを目指していたが、ツーと言った時点で保険を掛けていた。公介は金しか言っていない。闘争心が欠如していた。

 個人メドレー、自由形、リレーと泳ぎ、金、銀、銅と3つのメダルを獲得した萩野とは心身の覚悟の違いを感じた。

 瀬戸 帰国直後、お風呂の中で、何が自分に足りないのかと考えた。タフさが一番なかったと。

 すぐにオフの返上を決断。日本水連の平井伯昌強化委員長に電話し、メンバー外だったW杯の自費参加を直訴。30日から北京、ドバイ、ドーハ大会に急きょ出場する。個人メドレー、バタフライの「本職」に加え、平泳ぎ、背泳ぎを含め8種目にエントリーした。

 瀬戸 東京大会ではたくさんの種目で活躍したい。個人メドレー、バタフライ、リレーの5、6種目で金を狙える位置にいたい。

 来春には早大を卒業。進路は年末までに決めるが「日本で得られるものがたくさんある」と従来通り国内に拠点を置く。

 この日、萩野は昨年骨折した右肘の手術を受けた。

 瀬戸 公介はまた強くなって帰ってくる。追いつけるようにしっかりスキルアップしていく。

 4年前のロンドン五輪は出場すら逃した。悔しい銅メダルもステップアップしたことは間違いない。

 瀬戸 リオで金メダルを取ったら、東京ではプレッシャーに負けるかもしれない。東京五輪までもう3年10カ月。途中で気持ちが切れたときは、リオの悔しい映像を見て、気持ちを奮い立たせたい。

 東京への戦いは始まっている。【取材・構成=田口潤】

 ◆瀬戸大也(せと・だいや)1994年(平6)5月24日、埼玉・毛呂山町生まれ。6歳の時に水泳を始める。埼玉栄高時代は高校総体では3年連続で個人メドレー2冠。高校3年だった12年ロンドン五輪は落選。13年4月から早大。13、15年世界選手権では男子400メートル個人メドレー金メダル。リオデジャネイロ五輪は同種目銅メダル、200メートルバタフライ5位。家族は両親と妹。174センチ、73キロ。