集団行動に挑む結論は出たが、チャレンジスクール稔ヶ丘高の苦難はここからが正念場を迎える。「集団」と「運動」、この2つが苦手と公言する生徒は、自分たちの弱点と向き合いながら、必死にもがく。(取材、文=井上真)

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 稔ヶ丘高の2部2年生約80人は、文化祭で「集団行動」に挑戦することに決めた。

 そしてすぐに不安は的中する。皮肉なもので、やっと結論がついたその直後から、予想していた現実を突きつけられる。

 練習に来ない。

 後に指揮者となって全体に号令をかける富田は、辛かった時を振り返った。

 富田 やっぱりできないんじゃないかと思った。やる努力をしない、練習に来ない、やる前からあきらめてる。

 深層では覚悟していたが、本当は見たくなかった現実を直視したところから、稔ヶ丘高2部2年生の闘いは始まったと言える。

 やっぱり、思った通りだ。それでも、何とか改善しようともがく。声を出し合い、アイデアをぶつけ合いながら、模索する。黙って、下を向いていたら、それでこの闘いは終わる。今回の最大のトライアルだった。

 小嶋 やる気なかったところが、何でこれだけ本気になっているんだろう。

 自分たちの弱さ、仲間の弱さを目の当たりにしながら、自分たちで結論を出した「集団行動への挑戦」をあきらめない。稔ヶ丘高の生徒のメンタル面のスタミナが、活路を切り開いていく。

■80人全員が何か役割

 生徒は80人をいくつかのグループに分けていた。集団行動を実際に実演する36人は構成班。さらに照明・音響班、舞台・装置班、映像班、広告・宣伝班、そして誘導係。80人が何かの役割を持っていた。

 36人の構成班の練習の習熟度が成否を握っていたが、集まらない。映像班からヘッドハンティングをしたり、来ない生徒に連絡を入れたり、リーダーたちは苦悩を続ける。

 小林 脱力感があって、テンションは下がっていました。足踏みはそろわないし、動きはバラバラでした。やらされてる感もあって。

 苦しむリーダーたちに、西野たち日体大の学生3人は冷静に語りかけた。「お前たちがもうちょっと、みんなを引っ張って。お前たちがやる気を見せないと、みんなも変わらないよ」。

 ここは、生徒自身が切り開くしかない。手助けはできない。日体大から指導のために足を運ぶ西野剛生、佐々木空、森和弘の3人は我慢強く見守った。

 7月25日から8月10日にかけて、状況はさらに悪化していく。集団行動では常に左足からスタートするが、その最初の1歩がそろわない。出席率が低いどころか、その人数ですらバラバラだった。とてもじゃないが交差はおろか、もっともベーシックな基本歩行すらできないありさまだった。

 メトロノームの正確なリズムが響く。気を取り直すようにみんなで手拍子で意識を高めていく。

 大切なことを3つに絞り、みんなで確認し合った。

 腕を振る、前を見る、胸を張る。

 そして練習後には、来なかったクラスメートに連絡を入れる。「遅刻してもいいから来て」「体ひとつでいいから来て」

 「最後の30分でいいんだよ」。

 はっきりしていたことはひとつ。ただひたすら動き続ける。考えることを止めない、周囲への働き掛けを止めない、声を出し続けた。

 小嶋の観察は的を得ていた。

 小嶋 やり直すためのチャレンジスクール。僕たちは集団に慣れてないし、人との接し方がうまくできない。内気な人が多かった。だから、集団行動の考え方とマッチしない。でも、マッチしないものに、僕たちはチャレンジしていた。

■雰囲気変わりスイッチ

 自分たちの傾向を認め、今取り組んでいる課題との温度差を感じ、それを克服しようと向き合った。

 富田たちは少しずつ変化を感じる。

 富田 ちょっとした雰囲気の変化で、みんなのスイッチが入るようになった。

 小林 女子の中でも『意外と楽しくね~』って声が出るようになった。それに日体大の学生はイケメンで、女子の中では受けが良かったから、ちょっとずつワイワイとにぎやかになった。

 8月末の練習では、今まで来なかった生徒が、本当に残り30分だけ来たことに、チームは驚きに沸いた。

 残り30分に駆けつける。見方を変えればその現象は遅刻だが、当然、どういう事情、どういう思いでその生徒が残り30分に駆けつけたのか、それを察し推し量る気持ちがみんなにはある。

 何が彼らのスイッチになるのか、法則性はなかった。形はどうあれ、集まること、顔を合わせること、時間内に必死に来てくれること、それが何より大切だった。

 9月に入ると「行けるんじゃね」という言葉が聞こえるようになる。リハーサルではとうとう36人がそろった。全員がそろったのははじめてのこと。

 普通なら、リハーサルではじめてそろうなど、失敗を連想させるネガティブ要素になるが、生徒の受け止め方はまるで正反対だった。

 「奇跡だ」

 そろったことをガチでポジティブに受けとめ、それを快挙として自分自身をもり立てていく。そういう意味では自分たちを「上げていく」手段を、生徒自身が編み出して行った。

 生徒の変ぼうを目の当たりにした日体大の佐々木は言う。

 佐々木 下を見て笑わなかったみんなが、気持ちを表に出すようになった。しゃべるし、笑顔も見せて。何より、みんなの目線が上がってきたんです。

 富田は親しみを込めて「ニッシー(西野)、ソラッチー(佐々木空)」と日体大生をあだ名で呼び、西野たちも最後の仕上げに指導は熱を帯びた。

 当日着るTシャツが出来ていた。漢字で2文字。「和」「凛」。「和」は集団を表し、「凛」は1人りりりしく歩こう、そういう想いが込められていた。

■体育館に鳴り響く拍手

 迎えた文化祭「稔祭」。9月16(土)、17日(日)。生徒は3度実演した。初日の16日、最初の実演は生徒や教員に披露。2日目の17日は保護者を前に2度行った。

 1度目は100%の実演だった。

 富田 最初の演技の前にニッシーたちに言われたんです。『100%を目指すな。150%を目指せ。本番は必ず見えないプレッシャーがある。100を目指していたらどうしても80、90になる。でも、150%を目指せば、どんなに悪くても100%の力を出せる。そうすればお客さんは喜んでくれるぞ』。

 そして2日目の最初の実演は自己採点70%。

 富田 土曜日にうまくいって、うかれてました。それで、最後は全部だそうとみんなで声をかけあい、150%の出来栄えでした。

 体育館の出口の先は多少スペースがあって、ゆるいスロープになっている。その空間へ、3度目の実演を終えた生徒が小走りに、いや確実に基本歩行をしながら飛び出してくる。

 その空間に、極限まで濃縮された生徒の感情がぶちまけられた。

 やり切った感情がほとばしる。保護者が近くにいるから大声は出せない。だけど、噴火するマグマのように湧いてくる感情は抑えきれない。演技からくる息遣いなのか、興奮から来る咆哮なのか。互いの体をぶつけあったり、ハイタッチを繰り返して、その場を離れない。

 涙をこらえながら、その様子を撮影する柳本先生の手も震える。

 「人生初の大歓声を」

 体育館の中では、保護者の拍手がいつまでも鳴り響いている。体育館全体に、驚きと興奮がうずまいているようだ。

 まさしく、それが柳本先生たちが思い描いていた「人生初の大歓声」だった。その真っただ中に、稔ヶ丘高の生徒たちは自分たちの力でたどり着いた。(つづく)