ソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督(51)が9日、エース上野由岐子(32=ルネサスエレクトロニクス高崎)に20年東京五輪までの現役続行を勧めた。8日に国際オリンピック委員会(IOC)が五輪開催都市に実施種目の提案権を認め、東京五輪での実施が有力になった。宇津木監督は「上野ならできる。スーパーウーマンみたい」と、6年後の活躍に太鼓判を押した。上野は期待に応えたい思いはあるとしつつ「引退できる準備はできている」などと複雑な心境を吐露した。

 宇津木監督は、6年後の上野の登板を思い描いていた。20年東京五輪での実施種目入りの可能性が高まって一夜明けたこの日、高崎市内のルネサスエレクトロニクス高崎の練習場で、笑みを浮かべて話した。「シドニー五輪では43歳の選手もいた。ケガがなければ息長くやれる。わずかな人間しかできないことだけど、上野ならできる。生まれつき体つきが強い。大丈夫かと思うようなスライディングもうまくこなす。スーパーウーマンみたい」。信頼を置く上野に東京五輪への挑戦を強く勧めた。

 宇津木監督は、41歳で04年アテネ五輪に出場して銅メダル獲得に貢献した。内野手、投手とポジションは違うが、経験が力になると分かっている。上野の現状を「軽く投げても115~116キロ出る。世界一速い」と分析した上で、96年アトランタ五輪から3大会連続金メダルを獲得した米国の投手フェルナンデスを引き合いに出し、「彼女は打者との駆け引きが非常にうまかった。上野もそうなっていく」と、まだまだ成長できると強調した。

 だが、上野はこの日の練習後、ハッキリと言った。「自分が(東京五輪の)第一線で投げるイメージは全然ないです」。08年の北京五輪では初の金メダルを獲得。一時は達成感から現役を続けるか迷った時期もあったが、宇津木監督に「ソフトに恩返しする番」と諭され、所属先ではコーチ兼任で続けてきた。12年の世界選手権では42年ぶりの優勝に導き、今夏の世界選手権では左膝を痛めながら連覇を達成。「自分の中ではやり切った。それこそ、いつでも引退する準備はできている。ここから北京の時くらい自分を追い込めるかと考えると、年齢的にも不安」と話した。

 しかし、同時に、上野にはエースとしての自覚がある。3大会ぶりの競技復帰の機運が高まってきて「応援してくれる人の思いはひしひしと感じる。そのために頑張らなきゃとも思う」と素直な心境を打ち明けた。「簡単に出ますとは言えません」としながらも「正式に(実施種目になることが)決まれば気持ちも決まるかもしれない。腹をくくって決断する時がくれば、しっかり報告できると思う」と真っすぐな視線で話した。早ければ来年7月のIOC総会(クアラルンプール)で野球・ソフトボールの実施が決まる。熟慮の日々が続きそうだ。【岡崎悠利】

 ◆上野の北京五輪VTR

 エースとして6試合に投げて5勝1敗、防御率1・34で初の金メダル獲得の立役者となった。決勝では、五輪3連覇の米国をソロ本塁打の1点に抑えた。日本の球技では76年モントリオール五輪の女子バレーボール以来の金メダル。準決勝以降の2日間の球数は28回409球(公式記録は故意四球の4球を含む413球)。08年の「新語・流行語大賞」では「上野の413球」が審査員特別賞に選ばれた。

 ◆日本の最年長五輪金メダリスト

 冬季を含めて、男子は84年ロサンゼルス大会の射撃男子ラピッドファイアピストルの蒲池猛夫で48歳4カ月。女子は08年北京大会ソフトボールの内野手、伊藤幸子で32歳10カ月。夏季五輪全体では、男子は1912年ストックホルム大会の射撃団体のオスカー・スバーン(スウェーデン)で64歳258日。女子は1908年ロンドン大会のアーチェリーのキニー・ニューウェル(英国)で53歳277日。