ラグビーの11年W杯ニュージーランド大会の出場権のかかるHSBCアジア5カ国対抗を戦う日本代表の選手を紹介します。

 ロック大野均(31=東芝)

 今や日本代表の大黒柱、昨季はトップリーグのリーグ戦MVPを獲得した大野だが、花園や大学選手権の経験はなく、異色の経歴の持ち主だ。

 ラグビーを始めたのは、「日大工学部ラグビー部」から。同部は関東大学リーグ戦の日大ラグビー部とは違う。「春には卒業生が抜けて13、14人になり、新入生が入ってやっと17、18人になるくらい」(大野)という部だ。福島・清陵情報高時代は野球部の捕手で、福島・郡山市にある日大工学部に進学したところ、ラグビー部に勧誘された。

 「楽しい人たちの集団で、仲間になりたかった」からと、初めてラグビーをして「人にぶつかるとか、タックルとか、非日常的な行為が魅力的だった」と振り返る。「最初のころはパスもキックもできなくて、ただ走り回っていただけ。それがすごくほめられて、もう、うれしくて…」と、大野は当時に戻ったように無邪気に笑った。

 そこから福島選抜に入ったのをきっかけに、当時東芝のコーチでその後監督になる薫田真広に紹介され、東芝入り。恵まれた身体能力と、勤勉さで、日本代表入りへと駆け上がった。

 大野は「ラグビーは自己犠牲の精神」という。自分がチームのために何ができるか。痛いところに首を突っ込んでいけるか。グラウンドにいる30人が、その繰り返しという。80分間、1度もボールに触らなくて、防御やサポートで貢献すれば、評価される。ちなみに大野が東芝入りを決める前、職業の選択肢の1つだったのは消防士。「体を動かして、人の役立つ仕事」が理由だった。

 当然、常にけがの危険とも隣り合わせだ。極限状況寸前で、その人間の「素」が出る。「話もしたことないけど、体をぶつけ合うことで、相手がどんな人が感じ取れる。後で話してみたら、思っていた通りだったな、と」。また「80分間、走ってぶつかって。勝っても負けても、自分を出し切る達成感がある」のもラグビーの魅力という。試合後は体重が5キロ減るほど、大野は動き回る。

 ストイックな一面を持つと同時に、カーワン・ジャパンで「NO・1」と呼ばれる酒豪である。「メリハリが大事。きつい練習をした夜、ラグビーを忘れて、仲間と飲む時間のも大切な時間です」。

 大野はラグビーを始めて10年で、07年W杯(フランス)の舞台に立った。「今からラグビーを始めたら、10年目が2019年ですよ」。19年W杯日本開催に向け、1人でも多くの若者が、ラグビーを楽しんで欲しいと願っている。【岡田美奈】

 ◆大野均(おおの・ひとし)1978年5月6日、福島県生まれ。代表初キャップは04年5月韓国戦、通算38キャップ。192センチ、105キロ。

 ※1日に韓国・慶山ラグビー場で行われたラグビーHSBCアジア5カ国対抗兼W杯アジア地区予選で、日本は韓国に71-13で圧勝した。

 韓国戦後の大野の話

 「最初は、韓国にホームの勢いがあったけど、ジャパンのゲームをミスなくできれば、トライを取れる手応えはあった。後半はやりたいゲームができた。(後半9分の)トライは、いいところでボールがもらえました」