大関稀勢の里(27)が、初の1人暮らしで綱とりに挑む。師匠鳴戸親方(37=元前頭隆の鶴)が25日、「鳴戸」から「田子ノ浦」に名跡変更し、田子ノ浦部屋の力士となった26日、両国国技館で横綱審議委員会の稽古総見に出席。その後は千葉・松戸市の旧鳴戸部屋からの引っ越し作業に追われた。来年5月まで東京・墨田区の旧三保ケ関部屋の一部を借りるが、大部屋しかなく、関取衆は部屋の外から通う。来年初場所(1月12日初日、両国国技館)に向けて、今日27日から新たな環境で稽古を始める。

 とっぷりと日は暮れて、辺りは真っ暗。そんな午後6時42分、稀勢の里は初めて東京・墨田区の旧三保ケ関部屋の門をくぐった。約半年間とはいえ、来年初場所の綱とりに向けて稽古を積む場所。大家である先代の三保ケ関親方(元大関増位山)にあいさつに訪れた。「いい稽古場でした。これからまた、気持ちを切り替えていきたい」。あらためて、決意を口にした。

 慌ただしい1日だった。鳴戸部屋消滅という衝撃から一夜明けて、稽古総見に臨んだこの日。土俵に上がった午前10時9分、松戸市の旧部屋では引っ越し作業が始まっていた。稀勢の里も総見後に戻ると、自室の整理に追われた。15歳から過ごしてきた土地との別れは前日、師匠から聞かされた。「寂しくないといったらウソになるけど、相撲が取れる環境がありますから。力士である以上、相撲を取ることが一番」。そう自分に言い聞かせた。

 大事な綱とりに挑む稽古場は確保された。部屋も国技館にぐっと近づいた。ただ、環境は大きく変わり、何より「自立」を余儀なくされる。現在、東京・江戸川区東小岩に建設中の新田子ノ浦部屋が完成するのは来年6月。間借りする5階建ての旧三保ケ関部屋では、先代が使わない2階の大部屋までしか借りない。横綱北の湖らが過ごした個室は3階のため、先代三保ケ関親方は「関取衆は大広間に寝るわけにもいかないから、近くで借りるだろう」と明かした。

 関係者によると当面の間、稀勢の里と高安の独身2人は周辺のホテルに宿泊。若の里と隆の山の既婚者2人は松戸市から通い、4人とも落ち着いたら近くに自室を借りる算段だという。大関にとっては27年間の人生で、初めての1人暮らしになる。それでも「ボクのしこ名が変わったわけじゃないし、やることは一緒。本場所で土俵に行ってもいろんなことがある。いちいち気にしていたら、相撲は取れないですから」と動じなかった。

 「少しでも早く、稽古ができる環境をつくってあげたい」(田子ノ浦親方)との思いで強行し、午後8時半に終えた引っ越し。稽古は今日27日から再開する。やるべきことはただ1つ、相撲を取ることだけ-。稀勢の里は新たな試練を、受け止めた。【今村健人】<田子ノ浦部屋移行の経過>

 ▽20日

 公益法人化にともなって日本相撲協会が一括管理する年寄名跡の証書を、鳴戸親方(現田子ノ浦親方)は同日の期限までに提出できず。年寄「鳴戸」の証書を保有する先代(元横綱隆の里)遺族と話がまとまらなかったため。初場所初日まで猶予が与えられたが、北の湖理事長(元横綱)も「厳しい態度で臨む」と、提出出来ない場合には解雇処分などの厳罰を示唆。

 ▽25日

 鳴戸親方が、元前頭久島海(昨年2月に死去)の夫人が保有していた年寄「田子ノ浦」を襲名。同日、名跡の証書も日本相撲協会に提出。「鳴戸」の名跡は協会預かりに。稀勢の里らは、田子ノ浦部屋の所属になった。