毎年宮崎の巨人キャンプを訪れているが、今年は久しぶりに活気あるグラウンドに感じた。声が出ていると、球場全体がポジティブに感じる。

昨年の4位転落からの巻き返しが絶対条件になる。そのためには、キャンプから去年との違いを鮮明にして、挑戦者の立場を監督以下各選手全員が共通認識として、必死さを前面に出すしかない。となると、まずこの第1クールはじっくり体を動かし、強度を増すメニューへ、弾みをつけていきたい。

そういう視点から、どこまで泥くさく、ひたむきさが出ているかなと、楽しみにしてサンマリンに足を運んだ。確かに声は出て活気はある。ただ、よく観察するとその主体は松田に一極集中していた。巨人のユニホームを着ても、本質は変わらない。周囲を引っ張るように盛り上げ、役割を果たそうとしている。ところが、耳を澄ましても松田の野太い声ばかりが鼓膜を震わす。

そこで先日見に行ったソフトバンクが思い起こされた。松田は抜けたが、そんな影響はまったく感じなかった。ベテラン、主力関係なく、常に声がある。かけ声ばかりか、動きをチェックする確認の声がけも含め、活気と緊張感があった。チームの気質として備わっていた。

では巨人はどうか。松田の声がけに、多少の反応はあるが、まだ足りない。はっきり言って、声を出したから勝てるものではない。それは確かなことだ。では、声を必要ないかと言われれば、泥くさく巻き返す巨人に、それはあって当然の大切な戦力だ。

日本では声は若手が出すもので、主力、中堅以降になれば、若手に先陣を切るように求める無言の同調圧力がある。巨人の若手が松田に依存せずに元気を出すのは言うまでもなく、坂本や岡本の打線の核となる選手が、松田と呼応して声を張れば、まったく別の空気が出てくるだろう。

ノッカー元木コーチの空気を和ますセリフが、唯一の覇気と映ったのは、逆にさみしい。「巨人元気だな」ではなく「松田元気だな」というのがまぎれもない事実だった。声はいますぐ出せる、そして誰もが実行できる。チャレンジャーの巨人は、そういうところも大切にしてほしい。(日刊スポーツ評論家)