日本ハムが誇る、いぶし銀が今季、現役生活にピリオドを打った。飯山裕志内野手(38)だ。97年ドラフト4位で、鹿児島のれいめい高から入団。堅守でならし、日本ハム一筋で20年間、チームを支えた。

 9月15日の引退会見では、守備の名手として厳しい世界を生き抜いた自負が、言葉に込められていた。

 -印象に残るプレーは?

 「印象に残っているプレー…。僕はファインプレーってしたことがなくて、思い出すのは本当に普通のゴロをさばいているだけのプレーが思い出されます。やっぱり、守備っていうのは10割を目指せるものと思っているので、そこを目指してやって。やっぱり、10割を目指せるということは、当たり前にこなせないといけないということなので。うまく言えないですけど、そんな感じです」

 主に守備固めでの出場が、現役生活の大半だった。決して、打撃で著しい数字を残したわけではない。では、なぜ20年間もユニホームを着続けられたのか。10月3日の引退試合後、4学年上で現役時代もともに遊撃手として切磋琢磨(せっさたくま)した金子打撃コーチが語った言葉に、答えがある気がした。

 金子打撃コーチ プロ野球界を何で生き続けられるか、ということを早く気づいてストイックにやってきた。痛い、かゆいも言わない。(守備練習中は)後ろで、裕志が何か盗もうとやってくれていたから、僕も21年間(現役でプレーが)出来た。生真面目さ、ストイックさは、僕には超えられない。

 常に大量の汗をかきながら、延々とノックを受けている姿は、私も見たことがある。プロで生き抜くために、とにかく守備を誰より磨き続けた。必死だった。引退会見の日には札幌市内の球団事務所で職員に、あいさつで、次のような話をしたという。

 「若いころは、みなさんの仕事がよく分からなかったですけど、今は、みなさんのおかげで野球が出来ていると実感できます。ありがとうございました」

 入団当初は、必死にプロの世界で生きていくために、脇目を振らずに野球に打ち込んできたのだと思う。金子打撃コーチは言う。「世の中、ホームランバッターやFA選手とか、年俸を何億ももらうような華やかな選手をメディアも持ち上げるけど、飯山のようなプロ野球選手こそ、夢を持てる選手だと思う」。

 飯山は今後、指導者としてチームに残る予定だ。自ら歩んだプロ野球人生は、どんな選手にもお手本になるはずだ。【日本ハム担当=木下大輔】