ロッテ福浦和也内野手がプロ通算2000安打の偉業を達成した。

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福浦がニヤニヤしながら話しかけてきたことがある。「知ってますか? ○○さんがカラオケ教室に通っているらしいですよ。昨日、『絶対に言わないでよ』って言ってました」。ロッテ浦和球場の三塁側ベンチ。共通の知人のささやかな秘密をあっさりバラしているのにもかかわらず、あっけらかんとして本当に憎めない。ある意味、奇跡の才能だ。

奇跡といえば、1軍デビューも、さまざまな偶然をくぐりぬけて生まれた。97年7月4日、福浦はイースタン・リーグの遠征で秋田にいた。その日は移動日で試合はなく練習。ちょうど福浦が特打をしている時に2軍マネジャーの携帯が鳴った。1軍の近藤監督が打者の昇格を求めていた。「だれかいるか? 」との問いに、山本2軍監督は特打の行われているケージを見ながら「福浦はどうですか? 」と投手から野手に転向して3年目を迎えた男の名前を口にしていた。

秋田から羽田に帰る便はその日はもうなく、翌日早朝に移動することになった。7月5日の1軍戦はオリックス戦。デーゲームだった。しかし、あいにくの強風。飛行機は飛ぶのか飛ばないのか? そんな状況だった。せっかくのチャンスがふいになってしまうかもしれない。周囲の心配をよそにガンガン揺れる機内で福浦は爆睡。コンディションも良く、無事に試合前練習中のチームに合流した。

待っていたのは「7番一塁」でのスタメン出場。4回、フレーザーの高めに浮いたスライダーを中前へ運び、プロ初安打を記録した。そこからのサクセスストーリーはロッテファンならだれもが知っている。6年連続の打率3割など、主軸として戦い続けた。

だが、もし近藤監督から山本2軍監督への電話が、福浦の特打のタイミングではなかったら? 翌日の秋田発羽田行きの飛行機が強風のために飛ばなかったら? 福浦が揺れる機内では寝られない体質だったら? 近藤監督がスタメンで使ってくれなかったら? フレーザーのスライダーが低めに決まっていたら? 福浦はそんな紙一重を切り抜けてチャンスをモノにした。いずれ世に出てくる才能だったかもしれない。だが、2000安打達成は、もう少し遅かっただろう。人柄も選手としても、まさに奇跡の人と言える。【竹内智信】