<ヤクルト4-2阪神>◇6日◇神宮

阪神3年目の福永春吾投手(24)が5回に2番手で今季初登板し、無失点に抑えた。

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ずっと、この日を待っていた-。2年前の17年5月6日、阪神福永春吾投手(24)は人生で初めて甲子園のマウンドに立っていた。

「何も覚えてないぐらいに震えた。それだけを覚えているんです」

独立リーグ、四国アイランドリーグの徳島から阪神に入団したドラフト6位ルーキーが、プロ初登板初先発。初めての甲子園に、通路を間違えるほど緊張していた。結果は4回10安打6失点。しかし、チームは虎の歴史に残る9点差を大逆転する勝利を収めた。ベンチにいた福永の瞳は潤んでいた。

「この時期になると、やっぱり思い出す。やり返したい気持ちは、ずっと心に持ってきました」

悔しい気持ちを胸に、ここまで歩んできた。昨季はファームで開幕投手を任され、7勝2敗1セーブ。ウエスタン・リーグで最優秀防御率と最高勝率の2冠を獲得。当時2軍監督だった矢野チルドレンの申し子として1軍マウンドを狙ってきた。

飛躍を狙う3年目の今季は、救援に。2軍戦の開幕から11試合連続無失点、1勝2セーブ。3イニングのロングリリーフやピンチでの火消し役まで務めた。最速は155キロを計測。計161/3回で与四球は1つと、制球力も向上した。

「自分の居場所は、自分でつかまないと…」

その言葉には、自然と力がこもる。ずっと先発調整をしてきたが、チーム事情から3月中旬に救援に転向。ブルペン待機の日々を過ごした。

地に足をつけて、着実に進んできた。だからこそ? 運も味方につけた。2日に今季1軍初昇格。救援要員としてブルペンで肩を作った。「投げられる場面があれば、全力で存在感を示したい」。そう意気込んだが登板機会はなし。4日にメッセンジャーが先発するため、入れ替わりで出場選手登録を抹消される…はずだった。

4日の朝は、鳴尾浜に向かおうとした。だが、練習開始の午前10時ごろ。背番号40の姿は甲子園にあった。チーム内でインフルエンザが発症。岩貞、岩崎も感染し、大事をとって出場選手登録を抹消された。

「チャンスがないまま(降格)だと思っていた。一度は死んだ身。ここから投げる機会があれば、思い切って腕を振りたい」

落ち着いて話を聞いてもらえる場所、背中を押してもらえる存在が福永にパワーを与えている。その前日。3日の試合後は、ご飯をひとりで食べた。選んだのは西宮市内の焼き鳥屋。幼い頃からかわいがってもらった親戚の店で「再スタート」を心に決めていた。その日は「明日も練習があるから、帰らないと」と、早めに引き上げた。その直後に連絡がきた。「ご飯食べようか」。おなかを満たしていた福永だったが、その足で合流。友人らと談笑して、リフレッシュ。「あまり野球の話はせず、元気がもらえました」と良い意味で切り替えられたという。

今季初登板は、くしくも9点差大逆転と同じ「5月6日」となった。切れ味鋭い「スラッター」を武器にヤクルト青木、山田哲を連続三振。ここからが、また福永のスタートとなる。

「あの頃があるから、今がある。だから、今を必死に頑張らないと」

窮地に立たされても、必ずはい上がる。右肘の故障で金光大阪を転学、野球を1度は諦めた。諦めきれず挑戦した大阪、徳島での独立リーグ。ドラフト指名では人目もはばからず泣いた。だが、歩んできた道のりは、決して遠回りなんかじゃなかった。冬を越えれば、春は来る。ずっとつぼみだった花が、いま咲き始める。【阪神担当=真柴健】