運命の日、父親はたわいもない会話を続けながら、冷静に振る舞う息子をそっと見守り続けた。

「それまでにもいろいろ報道が出ていて、覚悟はしていたとも思うので。かける言葉もなかなか見つかりませんでした」

阪神、大リーグなどで活躍した野球評論家の藪恵壹氏はそう言葉を振り絞った。

5月20日、日本高野連が夏の甲子園大会、甲子園出場権をかけた地方大会の中止を発表した。新型コロナウイルスの影響を受け、断腸の思いで下された決定。藪氏は「残念でしたけど、この状況では仕方がないですから」と静かに振り返った。

父親として、この1年を待ちわびていた。関西学院高等部の硬式野球部に所属する次男は今年で3年生。2年夏の兵庫大会でも外野手としてスタメン起用されており、最上級生となった3年夏は主軸の活躍を期待されていた。

世界的な非常事態。誰が悪いわけでもない。悔しさをぶつける相手がいないことがまた、つらい。どうすれば息子の葛藤に寄り添えるだろうか。父親として苦悩していた時、息子が何げなく発した言葉に心を動かされた。

「他のクラブの大会が中止になっているのに、野球部だけやるわけにはいかないよね…」

周りを気遣った上での冷静なひと言に成長を感じ取り、正式に大会中止が決定するまで、静かに息子を見守り続けてきた。

同校は今も臨時休校中。当然、硬式野球部も全体練習を再開できていない。学年ごとに週1回オンライントレーニングを共にするぐらいしか、仲間との接点も持てない日々が続いている。

モチベーションをそがれても仕方がない状況。それでも息子は素振りやランニングなどの自主トレを懸命に続け、そんな取り組みは大会中止が決まった後も変わらないという。

「そういう姿を見ているとね…。もちろん他の3年生もそうだと思うけど、このままでは高校野球を完全燃焼できない。まだどうなるか分かりませんけど、保護者の1人としてはやっぱり、3年生にはなんとか区切りの試合をさせてあげたいなと思います」

藪氏は最後、高校3年生の球児を子に持つ親の1人として、言葉に願いを込めた。

今年も夏はやって来る。代替大会が開催される地域もあれば、苦渋の決断で開催されない地域も出てくるのだろう。

たとえ形態がどうなろうとも、球児と親が納得して節目を迎えられる瞬間が多く訪れることを、切に願う。【遊軍=佐井陽介】