2011年3月11日は、下町にある都立高校の卒業式前日だった。記者は最後の授業を終え、教室で友人とおしゃべりをしていると、立っていられないほどの揺れを感じ、机の下に隠れた。校庭に身を寄せしゃがみながらワンセグ搭載の携帯を開く。テレビのニュースで被害の大きさを知り、母の実家がある青森・八戸の様子が気になった。自転車で帰宅する途中、地面にははがれ落ちた町工場の外壁の数々。大学の入学は1カ月延期。10年前の記憶は、鮮明に残っている。

時がたち、19年11月からプロ野球の楽天担当になった。仙台に拠点を置き「東北」と名のつく球団担当として、東日本大震災に関する取材は欠かせない。だけど、勝手ながら正直、葛藤もあった。大学時代にゼミの合宿で福島の原発周辺を訪れたことはあったが、実際に東北の地で被害を体感したことはない。周囲からも「現地で被害を受けた人と受けていない人では大きな違いがある」と言われたこともある。自分が何を書いても、軽々しく映ってしまうのではないか。そう思った。

だからこそ、被災地の今を自分の目で見て、何かを感じたいと思った。昨年はコロナ禍の影響もあり、行動に移すことができなかったが、今年1月、南三陸町を目指して雪が積もる海岸沿いを車で走った。

目的地を前に、石巻に寄った。日和山から見渡す海岸沿いはきれいに整備されている。南三陸で足を運んだ震災復興記念公園では、震災当時のまま残されている防災庁舎、「祈りの丘」と呼ばれる高台から見える景色に息をのむ。さんさん商店街内にある写真館では震災前の街の姿から今に至るまでの様子が残されていた。ドラム缶の風呂に入る子どもや、体育館での避難生活にもレンズに笑顔を見せる被災者の姿に、自然とこみ上げるものがあった。

震災から10年がたった3月11日。楽天石井一久GM兼監督は節目へのコメントを求められ「軽いことは言えないですよね。自分が震災を経験していないので」と言った。この日のロッテ戦。岩手出身の銀次が遊撃へのゴロに全力疾走。内野安打をつかみとり、逆転劇へつなげた。指揮官はその姿に「ベンチでみていてもこういう姿を1年通して、ファンの方、東北の方にお見せしていかないといけない姿だなと。選手が連打を放ってくれた時にふと自分の頭の中をよぎった。だから野球で見せるしかない」と全力プレーが持つ力、意味をかみしめた。

「きれいごとを言っても仕方ない。野球のプレーの中で姿を見せることがこの球団としての使命だと思う。銀次だけじゃない。東北出身者というのはクローズアップされますけど、みんなその気持ちを持ってプレーしている。僕も大事なシーズンだと思っています」

過去に戻り、経験することはできない。ただ、被災地、被災者へ寄り添う努力をすることはできる。東北に拠点を置く野球チームを担当する者の“使命”を忘れることなく、日々の取材に励みたい。【楽天担当 桑原幹久】

11日ロッテ戦に逆転勝ちした楽天石井一久GM兼監督(左)は選手とグータッチ
11日ロッテ戦に逆転勝ちした楽天石井一久GM兼監督(左)は選手とグータッチ