今夏の東京オリンピック(五輪)は、海外からの観客なしで行われるという。大会の盛り上がりも欠き、経済的な損失も大きい。それに加え、外国人が絶賛する日本人の美徳を世界に知らせる、千載一遇の好機が失われたことが残念でならない。

プロ野球で活躍する助っ人たちは、日本在住の生活者でもある。彼らは我が国での暮らしを心から楽しみ、ほぼ例外なく親日家となって帰国していく。彼らが感銘を受けた逸話には、枚挙にいとまがない。

97年にヤクルトで1シーズンだけ在籍したジム・テータム氏が、試合のため横浜へ向かったときのことだ。電車を降りると1人の乗客が走ってきて、車内に置き忘れた財布を渡してくれた。感激したテータム氏は、その乗客をその夜の試合に招待した。

恩人の目の前で、ヤクルトは勝利。「いいプレゼントができて、本当によかったよ」。テータム氏は感慨深く語っていた。

何かとお騒がせだったダレル・メイ氏も、大の日本びいきである。阪神時代には野村克也監督を批判するという前代未聞の暴挙に出た。巨人移籍後はチームメートだった和田豊の顔付近にボールを投げつけるなど、その行いに批判もあった。ところが日本での思い出となると、途端に笑顔で語り続ける。

来日早々の98年夏、メイ氏は友人と待ち合わせた英国風バーに行こうと神戸市の自宅から大阪市内へ出た。ところが店への道が分からない。メイ氏の様子を見かねた通行人が、10ブロック以上も付き合って案内してくれた。「彼の英語はよく分からなかったけれど、必死に私に話し掛けてくれたよ。日本へのいいイメージは、ことのき決まったね」。楽しげなその表情に、お騒がせ男の面影はみじんも感じられない。

11年に起きた東日本大震災では、悲しみに暮れながらも思いやりを忘れない日本人の国民性に世界が目を見張った。阪神で99年に20本塁打を放ったマーク・ジョンソン氏は、東京のウエートレスがネットに投稿した物語に心を打たれた。

「地震が起きたとき、食事客が一斉に逃げ出したから、彼女は『お金を払ってもらえないかもしれない』と心配したそうなんだ。でもほとんどのお客さんが戻って来て、お金を払ってくれた。確かにそのまま帰ってしまった人たちもいた。でもその残りのお客さんたちは、わざわざ次の日に代金を払いに来たというんだよ」。

引退後も日本を懐かしむ彼らは、こういった話を家族や友人に繰り返し伝える。そしてささやかながらも、親日家を増やすことに貢献している。五輪の観戦に世界の人々が訪れていれば、地球上の隅々に日本人の美しい心根が知れ渡ったに違いない。代わりにまん延しているのが、憎き新型コロナウイルスである。全世界からのお客様がマスクをはずし、笑顔で応援するオリンピックが見たかった。【記録室=高野勲】