よみうりV通りの沿道に埋め込まれた巨人原監督の手形に手を当てる男の子(2009年9月19日)
よみうりV通りの沿道に埋め込まれた巨人原監督の手形に手を当てる男の子(2009年9月19日)

京王よみうりランド駅から川崎市のジャイアンツ球場へと続く「よみうりV通り」。勾配が急な坂の歩道の脇には09年に巨人に所属していた選手、監督、コーチの手形が設置されている。いまだに現役で活躍する坂本勇人内野手、亀井善行外野手に加え、原辰徳監督や阿部2軍監督などそうそうたるメンバーの手形が合計102個。その全てに記者自身の手をはめて誰が一番大きい手だったのか、検証してみた。

よみうりV通りのスタート地点が、地面に記されている(撮影・小早川宗一郎)
よみうりV通りのスタート地点が、地面に記されている(撮影・小早川宗一郎)
22センチの大きさを誇るオビスポの手形は記者の18センチの手と比べてもその差は歴然(撮影・小早川宗一郎)
22センチの大きさを誇るオビスポの手形は記者の18センチの手と比べてもその差は歴然(撮影・小早川宗一郎)

ジャイアンツ球場へ向かう試練の坂。「スタート」と書かれた地面を踏みしめて、1つ1つ手をはめていく。運動不足の記者にはなかなかこたえる。序盤でそうそうに優勝候補と出会った。背番号91番ウィルフィン・オビスポ投手。指が長い。指1本でうまい棒1本分くらいはありそうだ。一般男性の平均的な大きさと近い記者の手(18センチ)と比べても関節2つ分は大きい。22センチをたたき出した。こんなに手が大きいとスマホを操ったりするのも大変そうだな…と思いつつ、進もう。

地面には大きく「88番 原辰徳監督」と記されている(撮影・小早川宗一郎)
地面には大きく「88番 原辰徳監督」と記されている(撮影・小早川宗一郎)
19センチと大きくはないが、力強い原辰徳監督の手形(撮影・小早川宗一郎)
19センチと大きくはないが、力強い原辰徳監督の手形(撮影・小早川宗一郎)

次は当時88番の原監督。恐れ多くも手を重ねた。19センチと全体ではかなり小さい部類に入るが力強さを感じる。この手であまたの名選手を育て上げ、グータッチをし、球団史上最多の勝利数を更新し続けているのだ。

日本人選手では最大クラスの21センチの大きさを誇る矢野日本ハム2軍打撃コーチ(撮影・小早川宗一郎)
日本人選手では最大クラスの21センチの大きさを誇る矢野日本ハム2軍打撃コーチ(撮影・小早川宗一郎)
親指が長く、オビスポに肉薄する21・5センチの大きさを誇るロメロの手形(撮影・小早川宗一郎)
親指が長く、オビスポに肉薄する21・5センチの大きさを誇るロメロの手形(撮影・小早川宗一郎)
オビスポに肉薄する21・5センチの大きさを誇るバーンサイドの左手の手形(撮影・小早川宗一郎)
オビスポに肉薄する21・5センチの大きさを誇るバーンサイドの左手の手形(撮影・小早川宗一郎)

さて、オビスポ超えの猛者は現れるのか。48番矢野謙次現日本ハム2軍打撃コーチは惜しくも21センチ。それでもかなり大きい。日本人は体格的に厳しいのだろうか。長身助っ人の2人に期待しよう。196センチの38番レビ・ロメロ投手と190センチの31番エイドリアン・バーンサイド投手。しかし、21・5センチと肉薄するも及ばない。そのままビッグハンドの王者にはオビスポが輝いた。やはり22センチは大きすぎる。サッカーボールの直径と同じだそう。

大きさは標準サイズも深くめり込まれていて力強さが感じられる阿部慎之助2軍監督の手形(撮影・小早川宗一郎)
大きさは標準サイズも深くめり込まれていて力強さが感じられる阿部慎之助2軍監督の手形(撮影・小早川宗一郎)
全体で最小クラスの18・5センチだった坂本の手形(撮影・小早川宗一郎)
全体で最小クラスの18・5センチだった坂本の手形(撮影・小早川宗一郎)

大きさ以外に、印象に残った2つの手がある。1つは阿部2軍監督。大きさは20センチと特別大きいわけでもないのだが、全ての手形の中で一番深くめり込まれていた。はめると力強さがひしひし伝わってくる。そして坂本主将。原監督よりも小さく、最少クラスの18・5センチだった。186センチの身長の割には一般人と変わらない小さい手で昨季の2000安打など輝かしいキャリアを築いてきた。

よみうりV通りのゴール地点。急な坂道のゴールとともに設置されている寺内崇幸氏の手形(撮影・小早川宗一郎)
よみうりV通りのゴール地点。急な坂道のゴールとともに設置されている寺内崇幸氏の手形(撮影・小早川宗一郎)

気付けば坂道を上り切り、ジャイアンツ球場の入り口に到着した。息は切れても手形のおかげで退屈さはない。選手と直接触れ合うことのできない今の時期だからこそ、12年前の手形と時を超えてタッチしてみるのも1つの楽しみ方なのかも知れない。【巨人担当=小早川宗一郎】