野球人生を変えるため、新幹線の切符をギュッと握りしめた。昨年12月28日の早朝、新大阪駅にオリックス後藤駿太外野手(29)の姿はあった。手に持つのは「新大阪-新横浜」の往復チケットのみ。弾丸日帰りの野球練習ツアー。向かう先は「根鈴道場」だった。

「僕には時間がなかった。決めたら、即行動しないと。ラオウさん(杉本)に紹介してもらって『行ってみるしかない!』と心を決めました」

主砲のラオウ杉本が慕う、根鈴雄次氏(48)を訪ねた。現役時代の00年にMLBエクスポズと契約し、3A(オタワ)で初めてプレーした日本人野手だ。NPBの経験はないが、世界5カ国で13年間プレーし、現在は神奈川で野球塾を開校。後藤も教えを請うべく「根鈴道場」の門をたたいた。

10年ドラフト1位でオリックスに入団した“駿太”は今季でプロ12年目を迎えた。新人年の11年、高卒1年目外野手でプロ野球52年ぶりの開幕スタメンに名前を連ねた。

その後も成長を重ね、13~17年の5年間は100試合以上に出場するなど、レギュラー格だったが、18年以降は出場機会が減少。25年ぶりにリーグ優勝した昨季は、日本シリーズの出場登録メンバー(40人)に入ったが、練習参加のみでベンチ入りできなかった。

チームの戦力になるため-。歯を食いしばり、自分の気持ちを押し殺した。野手では極めて珍しく、遠征メンバーでチームに同行しても、出場選手登録を外れている日もあった。それでも「8番」の姿はベンチ奥にあった。勝利のハイタッチは、ユニホーム姿ではなく、練習着。ダグアウトで必死に汗を流し、テレビ画面で試合状況を見た。

「もちろん、チームが勝てばうれしい。みんなの活躍を見ると幸せな気分にもなれる。でも…。内心は死ぬほど悔しいんですよ…」

葛藤が脳裏をよぎった。「野球選手である以上、試合に出たい」。昨季は国内FA権も取得したが、行使せずに残留を決め「このチームで死ぬ気で勝負したい」。言葉には、力強さがあった。

「ゼロからやってみたかったんです。全部を捨てて。また新しい自分というか…ね。このまま、何も変化しない野球人生はダメだなって。勝負しないと。それでダメだったら、そのとき考えれば良いんだなって」

「根鈴道場」に通ったのは、あの日だけだった。「1日しか行ってないですよ。(打撃)動画を送ったりとか、チェックしてもらったりはしています」。今は結果に一喜一憂せず、ポイントを確認する日々だ。

「思い描いている姿には、まだまだ程遠いです。常にうまくなりたいと思って練習している。もちろん今日(1軍に)生き残るために、結果を残したい自分もいます。ただ、長い目で見たら、実はそうじゃないんだなって。(プロ12年の経験で)そう気付いたんです。気持ちの持ちようですね」

昨季は、代走や守備固めでの起用が中心だった。だが、今季は違う。オープン戦で打率4割3分5厘と猛アピールに成功。開幕スタメンにも名を連ね、6日ソフトバンク戦(ペイペイドーム)では、今季初の代打起用された。

同点の延長10回2死二塁。カウント2-2から守護神・森のフォークを拾った打球は前進守備のセンター頭上を越え、勝ち越し打に。三塁ベースにスライディングした後藤は、両手を突き上げた。勢いでヘルメットが脱げ、バンダナ姿が映った。

「息子のために…」

恐竜のイラストが入った緑のバンダナは「息子が、恐竜大好きなので…」と2児の父の顔を見せた。

「家にいるとき、一緒に(野球の)映像を見ます。僕が映ってるシーンがあれば『パパ!』って喜んでくれるんです。ひと昔前は、球団のポスターとかにも載せてもらえていたんですけど、今は…。また、いっぱい載りたい。息子のために、自慢のお父さんに。僕が頑張れる理由です」

「根鈴道場」に通った“あの日”は、帰宅が深夜だった。「息子たちが癒やしです」と口にする父は、新大阪駅から自宅へ、愛車を走らせた。道中では一瞬、自身の登場曲を流し、打席を思い描いた。家に帰れば、かわいい息子たちの寝顔が待っている。「もっと…。野球してる姿を見せたいですね」。涙は、グッと堪えた。後部座席のチャイルドシートを取り外す日まで、まだ泣けない。【オリックス担当=真柴健】