衝撃の監督人事だった。

と、こんなことを書いたら吉井監督にもロッテ球団にも叱られそうだが、新監督誕生のニュースからほぼ1カ月がたっても「そういう人選だったか…」と思ってしまう。

吉井監督は現役時代から、興味深いキャラクターだった。仰木監督率いる近鉄の守護神として力を発揮していたころ、救援に失敗したときは大荒れだった。仰木監督に叱られて腹いせに蹴飛ばし、無残な姿になった灰皿代わりのカンがベンチのすみっこに転がっていたのを目撃。鬼気迫る性格でなければ抑えは務まらないのか、と思い込んだ。

ただ、普段の取材時は明るくて率直。箕島(和歌山)時代は野球をやりながらビートルズにはまり、ギターを買う資金をためようと部活休みの時にはミカン摘みのアルバイトもした話を聞いた。愉快なエピソードの宝庫だった。

それからヤクルトに行き、メジャーリーガーの夢をかなえ、オリックスのユニホームも着た。オフ企画で「自宅にある意外な宝物は?」と質問したら「うーーーーん、ルーブル美術館の全集かな」と答えられ、趣味の幅広さは変わらないなと懐かしい思いも。一方で、調子の悪いときはピリピリとがっていて、やっぱり人の性格は変わらないなと思ったことも。

ただ06年3月29日、仙台での楽天戦で投げたときのこと。小雪の舞う厳しい寒さの中、登板中になんとマウンドからレンガ状のクレイの塊が出てきた。突貫工事でマウンドを作り直す間、耳当てをしてベンチで震えながら試合再開を待っていた。これは試合後、機嫌が悪いかなと覚悟していたら、本人はケロリ。「いろんな経験してきたからね」という言葉に、長くて濃い野球人生が凝縮されていた。

ロッテを最後に引退したあとは筑波大の大学院に行ったり、コーチになってからもオフに指導者の講演に足を運んだり、ずっと勉強を続けていた。知識の吸収への貪欲な姿勢に加え、選手を教える立場になって感情をコントロールするすべも身につけていったのではないか。

チームを背負う立場の監督になれば、また熱くなるだろう。激しい性格が顔を出すこともあるだろう。だが野球人としての経験値、学生として身につけた知識、ビートルズを聴いて育ったキャラクターでのかじ取りは、本当に楽しみだ。

佐々木朗との師弟関係も、グラウンドで復活する。ロッテは、球団の顔で球界を代表する剛腕だったOB村田兆治氏を失ったばかり。つらいニュースに沈むファンに、来季は明るい話題を届けてほしい。【遊軍 堀まどか】