記者という仕事は特殊なもので、経験し難い世界に身を置くことが出来る。

入社1年目の20年12月、何も分からないまま巨人担当になった。3年が経った。来年1月からはDeNA担当に配置転換されることになった。3年で世の中は変わった。コロナ禍真っ最中だったのがすっかり収まった。4年目ともなると後輩もできてボーナスもちょっとだけ上がった。

コロナ禍とは取材環境も変わった。当初はリモート取材がほとんどで感染拡大防止の観点から何げない会話すらできなかった。徐々に規制が緩和されてぶら下がり取材(移動中などに話を聞く取材)も解禁。トップアスリートに対し、疑問に思ったことをすぐに聞けるという得難い環境になった。選手、コーチらは黙って帰りたいときもあっただろうが、快く取材に応じてくれたことに感謝しかない。

そんな環境で学んだことはたくさんあった。7月の甲子園。ベンチ裏の通路で菅野を取材していた。話の流れで恐縮しながらも個人的な“ガチ相談”をしたことがある。うまく原稿が書けなかったとき、つい自分の中で言い訳をして逃げ道をつくってしまう。時間がなかった、取材が足りなかった…などキリがない。自分を正当化してやらない理由を探している気がした。打ち明けると8歳下の若手記者に共感しながらも響く言葉を送ってもらった。「おれもやりたくないことはいっぱいあるよ。だけど逃げたらいつか倍になって自分に返ってくる。目標に対してそれがダメだと思っているなら、100%達成されることはないと思う」。

同時にこうも言われた。 「体のいい言い訳ね。気持ちはわかる。おれもそういう弱い心持ってるから。でも客観的に自分を見たときにこれはダメだなと。やって後悔することって基本的にはなくて、思い立ったことでやっておけばよかったと後悔することはあると思うんだよね。俺だってはたから見たら素晴らしい人生を送らせてもらってるかもしれないけど、いまだにこうしとけばよかったなとか思うことあるよ。もっと良い成績残せたかなとか。でもそれが少なくなるように毎日考えてやってるから」

今でも逃げたくなったときに思い出す。とりあえずやってから考えよう。

他の選手にもたくさんのことを勉強させてもらった。坂本や長野らベテランの気遣い、中田翔の優しさ、丸の練習熱心さ、小林の人たらしなところ、大城卓の温かさ、岡本和キャプテンの謙虚さ、高梨の頭の良さ、大勢の身体へのこだわり、戸郷の明るさ、門脇の意識の高さ、浅野の純粋さ、若手や育成選手の必死さ-。挙げたらキリがないので割愛するが、全てが驚きの連続だった。

来年からはDeNA担当に変わる。どんな驚きや発見があるかワクワクする。こうやって自分の気持ちを書くのは先輩や記者仲間、知り合いに見られると思うと恥ずかしい気持ちはあるけど、まずはやってみる。記者として感じた驚きをこれからも記事によって少しでも細かく、わかりやすく伝えていきたいと思う。【巨人担当=小早川宗一郎】