ロッテ佐々木朗希投手(19)が希代の快速球を投げ、岩手・大船渡高で仲間たちと甲子園を目指した最後の夏から、2年が過ぎた。震災と「あの夏」を越え、故郷を巣立った彼らは今、何を思うか。当時のチームメート5人を訪ねた。

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三上陽暉さん(20)に将来の夢を尋ねた。間髪入れずに「消防士です」と胸を張った。

「父が地域の消防団に入っていて。こういう仕事をしたいって、小さい時からずっと思ってました」

会社員だった父春幸さんは、震災直後もがれき撤去などに飛び回っていた。「大人になるにつれて、地域の方々からも父の話をすごく聞かせてもらえています」。震災の4カ月後、病気で若くして他界した。

誰かのために-。DNAは確かに受け継ぐ。届かなかった甲子園のことを尋ねた。「行きたかったですね」と言い「朗希のため、もありました。憧れの舞台に地元のメンバーだけで行くのは、すごく意味があると思ったので」と続けた。朗希のため、と言った。

「ずっとチームを引っ張ってくれて、朗希がいるから行けるって思えたし。記事でもあれだけ甲子園、甲子園って言ってくれたので、そうなるために練習を頑張ったのもありました」

熱い心をプレーで示した。3年夏の準々決勝、久慈戦。2番右翼で出場し、3安打2四球でチームをけん引した。エースは前日に194球を投げていた。

「朗希はさすがに投げられない。絶対に負けるわけにいかない。また朗希に投げてもらいたい」

全てファーストストライクを狙った。「追い込まれちゃうと技術もないですし、早め早めに打ちに行きたいなと」。謙遜したが、攻める姿勢はナインにも応援席にも勇気をもたらし、うねりを作った。

仙台の東北学院大で野球を続けている。あと2年半で引退だ。プレッシャーに負けず、威風堂々と大船渡を鼓舞したあの夏。チームプレーを学び、野球での修羅場もくぐってきた。夢見る職場では、極限状態が何度もあることだろう。

「負けたくないという気持ちはすごく大事だと思います。不安になるのはしょうがないですけど、無理やりでも強気になることも大事かなと思います」

誰かの笑顔のために。いつの間にか同期の幹事役をしていることも、たまにある。(つづく)【金子真仁】