ロッテ、51年ぶりの優勝なるか-。ツイッター上で一喜一憂するファンたちは、どんな熱い顔で応援しているんだろう。旧本拠地の川崎から南千住経由で幕張へ。「ファンになって人生変わりましたか? 」を歩いて尋ねる旅の、後半戦の様子をお届けする。

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川崎→東京・南千住を歩いた6日後の10月24日、南千住→千葉・海浜幕張を歩いた。朝9時、東京スタジアム跡を出発しようとするとすごい男性(40)が。

「私も30キロ歩いたんです。ロッテの必勝祈願で都内の神社巡りを。全部100円ずつ、さい銭入れて」

川崎から幕張への約60キロをのべ2日かけて完歩。石垣島産のマスクとともに(撮影・金子真仁)
川崎から幕張への約60キロをのべ2日かけて完歩。石垣島産のマスクとともに(撮影・金子真仁)

なんだか勇気づけられて出発。常磐線のガードをくぐりぬけ、3年B組金八先生の世界を歩く。この日は日曜日だ。河川敷では草野球が何試合か行われている。少しずつ戻りつつある日常。東京スカイツリーを背に荒川、中川と渡る。

この日も自分の服装や現在地はツイッターで報告していたものの、抜け道もかなり歩いた。油断しているところを小岩で40代女性に声を掛けられ、ちょっと驚いてしまった。「若い頃は野球ファンの友達も大勢いました。でも大人になると自分の生活もあるから、少しずつ…ですね」。ロッテがリーグ優勝から離れ51年。その間、ファン1人1人の人生も進む。

江戸川を渡り、いよいよ千葉県に入った。市川橋のたもとで高志祐子さん(43)に出会った。「息子はマリンの硬いベンチで寝て育ったんです」と言い、帽子を見せてくれた。マリンに通い詰め、たくさんのバッジをもらった。長男は19歳になった今、米国留学中。夢を追いかける。そんな話をしながら、本八幡まで一緒に歩いてくれた。

やがてゴールのZOZOマリンで試合が始まった。取材は同僚に任せ、私はひたすら歩く。下総中山、西船橋…とちょっと歩道が狭くなる。長い歩き旅は、こういうちょっとしたストレスが大きな疲労に。休んだら一気に心が折れそうな気がして、昼食はあきらめて歩くことにした。

船橋市の中心部で大野昇也さん(50)に声を掛けられた。その手にはロッテのアイス「クーリッシュ バニラ」が。「どうぞ」。お世辞抜きで、いま一番欲しい食べ物、銘柄だった。生存本能が感謝する。市役所の壁際で腰掛けながら、いろいろお話を聞いた。

ロッテとの出会いは03年のこと。

「幕張メッセで恐竜博があって、海浜幕張駅前でM☆Splashとマーくんが『ぜひ球場に』って宣伝してたんです」

当時4歳の息子が興味を持ち、球場へ。親子で一気にファンになり、何度も通うようになった。

「ホームランを見れたのがうれしかったみたいですね。あんなに飛ぶんだって。あの日、駅前でマーくんたちに出会ってなければ、野球にも出会ってないですね。金子さんにも」

なんか、しみじみとさせられた。旅が好きだ。日本の隅々まで訪れてきた。見知らぬ地で歩く人々を見て、いつも思う。「旅しなかったら、人生でこの人の姿を見ることはなかったんだろうな。そして、もう2度と見ないんだろうな」。

いろいろな運命が絡み合って、1つのスポーツ、1つのチームを好きになる。人生の奥深さを感じながら、南船橋からの最後の1本道を歩いた。

10月23日、ZOZOマリンの右翼席で勝利を願うロッテファンたち
10月23日、ZOZOマリンの右翼席で勝利を願うロッテファンたち

のべ2日、15時間ほどかけて約60キロを歩き、ZOZOマリンに着いた。恐縮ながら、何度となく差し入れをいただいた(大半はロッテのお菓子かアイス)。最後はマリン手前で女性から入浴剤をいただいた。早くつかりたい。

試合は8回裏になっていた。「レアード選手、第28号のホームランでございます」。谷保さんのアナウンスが場外に響き、歓声が高まる。フォロワーもきっと何十人、何百人と、この熱狂の中にいるのだろう。裏手の海岸でマスクを外し、海風を深めに吸った。

さぁ、帰ろう。駅へ向かおうとすると、試合はまだ終わっていない。9回裏、ピンチのようだ。隙間からバックスクリーンが見える。相手の連打に駐車場スタッフもざわつく。優勝を願うのは、球場で働く人たちも同じだ。年配の男性係員が手を組んで祈る。守護神益田がしのいだ。「よっしゃ! よし、仕事だ」。全員が笑顔で、持ち場へ急いだ。【金子真仁】

(つづく)