さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。同シリーズの最終回にあたる第27弾は、現ソフトバンク球団会長の王貞治さん(77)です。

 ご存じのように王さんは、巨人現役時代に世界のホームラン王として通算868本塁打の金字塔を打ち立てました。早実(西東京)時代はその打撃だけでなく、投手としても活躍しました。2年春にセンバツVの原動力となり、2年夏の甲子園ではノーヒットノーランを達成しました。どのような高校時代を過ごしていたのか、全7回で振り返ります。

 12月22日から28日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

取材後記

 60年以上の昔のことをしっかりと覚えているものだ。ソフトバンク王球団会長に、高校時代の話を聞いた。もちろん、少年時代のことも振り返ってもらった。短い時間ではあったが、記憶は鮮明だった。巨人時代、ホークス監督時代を含め、70年近い野球人生で、数えられないほどの体験をしているだろう。だが、どこを切り取っても、話は尽きない。焦点を絞れば絞るほど、記憶の解像度は増しただろう。これを機に、もっと突っ込んで聞いてみたくなった。

 ただ、栄光より悔しさや屈辱のほうが、より思い出も強いということも分かった。高校3年間の野球の思い出で、王さんが真っ先に言ったのは58年センバツ大会の敗戦(済々黌)だった。前年のセンバツ優勝でもなければ、ノーヒットノーランの投球でもない。タイムスリップすることができるのなら、もう1度戻りたいのは、最後の甲子園となったこの済々黌戦なのだろう。「マウンドに立った自分が、今までのように投げられないというのは大変つらかった。やっぱりエースというかね。投手というのは、自分が投げないと始まらないのが野球だからね」。王さんはそう言って、視線をそらした。

 世界の王の憧れの人は、メジャーリーグ往年のスター、ルー・ゲーリックだった。「鉄人」と呼ばれた。打撃も3冠王に輝くなどすばらしい成績を残している。「2000試合以上も連続出場してね。常に試合に出ている。ベーブ・ルースのように派手じゃなかったけど、そういうところに憧れてファンだったね」。巨人OBで最多試合出場は王さんの2831試合。本塁打に彩られるプロ野球人生だが「ボクが出場試合は一番だから」と、照れながら笑った姿が何とも印象的だった。【佐竹英治】