超満員に埋まった三塁側慶応アルプスの一角から「もりば~」の声が響く。品良く紺色の制服を着こなした慶応幼稚舎の3年生約30人が、慶応・森林貴彦監督(44)に声援を送った。「授業が面白い!」「野球を一緒にやってくれる」「怒ると怖いけど…女子に優しい!」。9歳の児童たちが、みんな笑って口々に叫んでいた。

 15年8月に就任した森林監督は、慶応幼稚舎で3年生36人の担任をしながら、高校野球の監督を務める異色の“二刀流”指揮官だ。甲子園入りした19日は終業式で、ホームルームで通知表を渡してから移動。翌日の卒業式は欠席した。

 「両方見るのは他の人にはできないメリット、視点になるとプラスに考えてます。大人の世界にいて高校生を見ると未熟で子供に見えて、足りないところばかりに目が行きますけど、朝から小学生を見て、高校生を見ると立派な部分を感じる。体力だけじゃなくて、考え方とか計画的にやることとか論理性があるとか」

 平日は小学校の授業の合間に、漢字テストの採点とともに練習メニューを考え、13人の学生コーチを含めた19人のスタッフにLINEで送信。放課後は約1時間、午後3時までドロケーやドッジボールに付き合い、地下鉄に乗り込む。東京メトロ日比谷線の広尾駅から東横線の日吉駅まで約25分間の移動で、高校野球モードにスイッチを切り替える。

 就任後、初の甲子園となった初戦は1点差で敗れた。高校生が持つ「計画性」を生かした取り組みとして、冬場は外角のボールを打つことをテーマに取り組んだ。一時逆転となった善波の左前適時打は外角高めの直球をはじき返した。一定の成果は出たが、5安打に終わり終盤に競り負けた。

 「打つ、守る、投げる。すべて足りないと痛感した試合。まだ足りないと甲子園に言われた。選手は最高の悔しさを味わったことを生かしてもらいたい」

 森林監督は慶大時代、慶応の学生コーチを務めた。卒業後はNTTに就職し、池袋支店の法人営業部に所属したが3年で退社。安定した大企業のサラリーマン生活を捨てて、指導者を目指して筑波大の大学院に通った。「コーチの時と会社では充実感が違った。野球がやりたいと会社勤めをしたことで、気づきました」

 家賃3万5000円、築30年のアパートで1人暮らしをしながら教員免許を取得。つくば秀英(茨城)でコーチを務めるなど、指導者の道を歩んできた。

 「公式戦で授業を休むことも多かったけど、たくさん甲子園まで応援に来てもらった。勝利を届けたかったけど、残念です」。「もりば先生」は夏の雪辱を期した。【前田祐輔】