福岡は「南北」に分かれている。古くから高野連の組織自体「北」と「南」に分かれ福岡大会を行ってきた。県大会上位までは同じ地域同士で対戦し、それぞれの「代表」が「県大会」に出場して夏甲子園の代表校を決めてきた。その歴史をひもとくと、福岡県という地域性と歴史が高校野球を通じて、浮かび上がってくる。

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 第100回大会の今夏、福岡から甲子園に2校が出場する。例年2代表の北海道、東京に加え、福岡だけでなく大阪、兵庫、埼玉、神奈川、千葉、愛知が2代表となる。福岡は初めての経験となるが、区割りはあっさり決まった。福岡県高野連理事長の野口敦弘(56)は「福岡は長く、ある程度、南北に分かれてやってきた経緯があり、すんなりやり方を決められたことはあります」と説明した。「北部」とは主に北九州市地域、筑豊地域で、「南部」とは福岡市周辺と筑後を含めた県南部を指す。

 歴史をひもとこう。戦後復活となった1946年(昭21)第28回大会。県単位の高野連組織が設立された。当時は福岡に加え、佐賀、長崎の3県の代表校が甲子園に出場。その時「福岡南部」「福岡北部」「佐賀」「長崎」で予選を行い、その代表4校で「北九州大会」を行うことが決まった。ここが原点だ。そして福岡県だけで1校出場となった48年以降は、南北それぞれ予選を勝ち抜いた4校が「県大会」として準々決勝以降、同じ会場で行うこととなった。その後、記念大会時に「県大会」出場チームが8校から16校に増えたり、また元の8校に戻ったりと変遷してきた。86年からはベスト16がそろう5回戦以降をいわゆる「県大会」と俗称的に呼ぶようになった。

 99年からは南北のバランスが崩れる。それまで南8校、北8校が5回戦以降を戦うように組み合わせが決められていたが、南部の参加校数が増えたことで見直され、南9校、北7校が5回戦以降の「県大会」に出場。再度抽選を行うシステムに変わった。04年からは北部の高校の県大会への出場が少ない不公平さもあり南11校、北8校の変則19校による5回戦以降の「県大会」となった。そして5年前の大改革へとつながる。

 野口 長くバランスが悪いと思っていた。南北の地域を再編成することでバランスが取れた。

 12年は北55校で南80校。13年からは「南部」地域だった福岡市と北九州市の間の地域を「北部」にした。現在は南70校で北66校(今夏の出場は連合含め63チーム)となった。

 そして、南北それぞれが強い時期があるなど、独自の歴史をたどってきた。

 野口 結構、経済事情により変わってきた歴史でもあるんです。戦後、経済成長期には八幡製鉄所を中心とした北九州地区の経済が盛んなころは小倉を中心に強かった。その後は福岡市を中心に商業が発展すると南部が強くなった。昔は北部の公立と南部の私立と構図もあった。

 過去、夏の代表校を見ると80年までは50代表中、北部が33校だったが、81年以降、30年間で北部が優勝したのが6校しかない。97年から10年間は南部が10連覇していた。そして08年からは昨年まで北部が強く、南部では1校だけしか優勝していない。南北分かれて代表校が決まる今年の構図としては北部のレベルが高い。春の大会上位4校はすべて北部だ。

 福岡球児の間やファンの中では根強く残っている「南北」。これもまた福岡県高校野球の楽しみ方の1つにもなっている。(敬称略)【浦田由紀夫】

 ◆福岡の夏甲子園 通算91勝83敗。優勝4回、準V2回。最多出場=小倉10回。