横浜商(神奈川)三浦は、3年生で初めて夏の甲子園に出場した。1983年(昭58)夏の第65回大会。開幕戦に登場した横浜商は、同年センバツに続き、決勝まで勝ち上がる。

▽1回戦 横浜商5-4鹿児島実 三浦=10回7安打6奪三振4失点

▽2回戦 横浜商6-0佐世保工(長崎) 三浦=9回4安打6奪三振無失点

▽3回戦 横浜商19-3学法石川(福島) 三浦=7回4安打3奪三振無失点

▽準々決勝 横浜商4-1宇部商(山口) 三浦=9回9安打1奪三振1失点

▽準決勝 横浜商12-2久留米商(福岡) 三浦=8回6安打0奪三振2失点

準決勝(久留米商戦)の試合前、三浦は思いもしない報に表情を曇らせていた。この大会で3季連続優勝を狙っていた池田(徳島)がPL学園(大阪)に敗れたのだ。打倒池田の夢が消えた。決勝で対戦することになったPL学園は、ともに1年生の桑田真澄、清原和博のKKコンビが注目されていた。

三浦 清原はただの1年生という印象。でも桑田は違った。すごい投手だった。こっちは小倉さんがくせを見破って、作戦もあった。ミーティングをして徹底した。

横浜(神奈川)で部長として数々のプロ野球選手を育て上げた小倉清一郎が当時、横浜商のコーチとして在籍していた。対戦校の投手、打線、戦術は細かく分析され、対策は徹底されていた。もちろん、桑田攻略法もあった。

策士の小倉がナインに説明した「桑田のくせ」はこうだった。「マウンドで二塁に走者を背負うと、1度しか二塁を見ない。そのときにけん制がなかったら、スタートを切れ」。対策は万全のはずだった。

1回の攻撃からそのときがきた。1死から2番打者が出塁。二盗を決め、走者二塁に。分析通り、桑田は二塁を1度しか見なかった。三盗に楽々と成功。先制点は挙げられなかったが、勝機が見えたような気がした。

だが、思惑は2回に崩れる。再び、1死二塁の場面となった。しかし、1度しか二塁を見るはずのない桑田が、2度見た。スタートを切ろうとしていた走者は、けん制でアウトになった。

好機がついえた直後の2回裏、三浦は4番清原に先制ソロを浴びた。磨いてきたはずのフォークが抜け、落ちなかった。右翼へのアーチ。清原の甲子園第1号だった。横浜商打線は好機をつくりながら、あと1本が出ず、桑田に0点に封じられた。

三浦 桑田はただの1年ではなかった。すでに対応力、修正力があった。欠点がなかった。

三浦は8回7安打3奪三振で3失点だった。0-3。くしくも、センバツと同じスコア。最後の夏も準優勝投手に終わった。春と違っていたのは、甲子園の土を初めてかき集めたことだった。

初の栄冠を阻んだ桑田との再会はすぐにやってきた。(敬称略=つづく)

【宮崎えり子】

(2017年9月1日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)