1年の秋。谷繁の実家に電話がかかってきた。父一夫が出ると、野球部長の山代邦徳からだった。

一夫 息子が上級生に殴られて、唇を7針縫ったという。駆けつけたら、唇がめくれてしまっていてね。同じキャッチャーの先輩というから、ねたみもあったのでしょうか。

野球で秀でた存在で、学年をまとめるリーダー格でもあった。目立つ谷繁は、先輩から目をつけられがちだった。

この事件には後日談がある。傷を負った唇は、時間が経過しても、なかなか元に戻らなかった。大きな傷ではなかったが、一夫は気になっていた。3年の10月に出場した京都国体からの帰り道。知人がいる広島市内の病院へ連れて行った。すでに谷繁はプロから注目され、ドラフト1位指名が確実視されていた。

一夫 テレビや新聞に写真が出る機会も増えるからと、整形手術をお願いしました。先生には「この程度なら放っておいてもいいのでは」と言われたけど、私は2つの理由から治したかった。1つは、傷が残ったままでは本人がかわいそうだから。もう1つには、息子がテレビに映るたび、殴ってしまった先輩の重荷になると思ったんです。だからドラフト前に治したかった。保険が利かないから、10万円ぐらい払ったんじゃないかな。

約30年前のこと。現在よりも厳しい上下関係が存在していた。ただ、谷繁はグラウンドで気後れすることはなかったという。

谷繁 確かに上下関係はあるんだけど、試合では共に戦うという雰囲気だった。スタメンに同級生も多かったしね。

3番坂口智之、4番谷繁、5番辻正人のクリーンアップは、同じ2年生だった。さらに遊撃手の黒田博史、三塁手の坂口豪哉と、5人の同級生が先発メンバーに入っていた。

谷繁が2年で迎えた夏の島根大会は、松江日大との初戦から逆転勝ちと苦しんだ。松江南を2-0、邇摩(にま)を6-2で下すと、準決勝は大社に3-0で快勝した。そして川本との決勝戦は7-7で迎えた9回裏、四球の走者を二盗と犠打で三塁へ進め、スクイズでサヨナラ勝ちした。江の川にとって、12年ぶり2度目の甲子園出場だった。

谷繁はこの大会、22打数12安打の打率5割4分5厘。5本の二塁打を放つなど、打線を引っ張った。

谷繁 打ってるねえ。確かに自信満々で甲子園に行った覚えがある。チームとして甲子園で優勝を狙えるわけじゃないけど、「オレは打てる」って思っていた。甲子園でもある程度打てるという自信はあった。調子に乗っちゃったんだろうね。でも、予選でこれだけ打っていれば、調子に乗っても仕方がない(笑い)。

彼にとって、生まれて初めて経験する全国大会だった。地方で腕に自信を持っていた野球少年が、初めて大海に乗り出した。そこで鼻っ柱を折られた。

初戦の相手は神奈川の横浜商(Y校)。エースは古沢直樹という、谷繁と同じ2年生の右腕だった。(敬称略=つづく)【飯島智則】

(2017年9月25日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)