山下智茂率いる星稜(石川)は95年、春夏連続で甲子園に出場した。センバツは3年ぶりの8強入り。夏も初戦(2回戦)でエース山本省吾(元ソフトバンク)が県岐阜商を完封し、3回戦に進んだ。戦う中で、山下は考え続けていた。

山下 ベスト4の壁を破るのは何か。それをずっと考えていました。

先に進むチームとの差は何なのか? 山下の自問自答は続いた。そんなとき、チーム宿舎の近隣住民から盆踊りに誘われた。

山下 町の人たちが呼びに来られて「盆踊り、踊りましょう」って。公園に行ったら盆踊り大会になっていました。テレビに映ったら大丈夫かなと思ったけど、まあ、責任は俺が取るわって参加させて。みんな喜んでくれて、町ぐるみで応援してくれてね。

現在、ソフトバンクのスカウト山本も、大阪市中央区の公園で踊った夏を思い起こす。

山本 勝ち上がって、ちょうどお盆のころも試合をしていた。いつもチームで体操をしていた公園で、盆踊りがありました。監督が行ってこいって言われたと思うんですけど、踊っている輪の中にみんなで入りましたね。

春夏甲子園の期間中以外は知らない土地の大都会・大阪で、星稜ナインは盆踊りに誘われた。最初こそ照れていた高校生が、次第に踊りに夢中になった。参加者から手渡された焼きトウモロコシをかじりながら「この光景は、なんだろう?」と山下は思った。

それは、星稜が紡いできた歴史だった。剛腕・小松辰雄(元中日)を世に出し、79年夏の甲子園大会3回戦で箕島(和歌山)と球史に残る熱闘。5打席連続敬遠策で高校最後の夏を終えた主砲・松井秀喜(元ヤンキース)がいた。全国に知られた星稜には、周囲を引き込む力があった。

盆踊り大会参加直後の3回戦・関西(岡山)戦で、星稜は大会屈指の左腕といわれた吉年滝徳(元広島)を攻略し、春夏連続8強入り。準々決勝は金足農(秋田)に快勝し、4強に進んだ。準決勝は智弁学園(奈良)に逆転勝ち。当時の日刊スポーツ紙面に「すごいねえ。練習は休みだし、甲子園に応援に行きたいけど、周りの関係者に迷惑がかかっちゃうでしょうからね。(中略)ひとりで寮のテレビにかじりついて大声を出しながら応援してます」という巨人(当時)松井の興奮のコメントが躍った。

山下 これだ! と思ったんです。上に行くときは、選手へのリスペクトともう1つ、お祭りだなと思ったんです。力以上のものを出させてくれたのは、町の人たちの応援でした。思い出はいろいろあるけれど、あの大会での町の人とのふれあいは感動的でした。

優勝はならなかった。東の横綱・帝京(東東京)との決勝を前に、すでに戦えるチーム状態ではなかった。捕手、三塁手、左翼手が負傷し、さらに山本が準決勝で左足の内転筋を肉離れ。イニングごとに理学療法士の治療を受ける姿を見ながら、山下は「倒れるな…」と祈り続けた。左ひざをくの字に曲げながら、山本は3失点で投げ抜いた。

95年夏も星稜は記憶に残る敗者になった。山下は「全国制覇を果たしたなら、辞めるつもりでいたんです。でも、また10年頑張ります。応援してください」と語って甲子園を去った。その夜、宿舎近くの銭湯に、ナインをねぎらう人があふれた。(敬称略=つづく)【堀まどか】

(2018年3月2日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)