12年シーズンを最後に日米20年間にわたる現役を引退した松井氏は、13年夏、最初の「取材先」として甲子園を訪れた。第95回全国高校野球選手権の開会式と母校・星稜の試合だけでなく、他校の試合も観戦した。実に21年ぶりに目にした高校野球は、時を経ても新鮮だった。

 「やっぱり開会式はいいですよね。今までは歩く立場だったし、スタンドで見たことがなかったですからね。日本らしくていい。全体を見渡すと気持ちいいですよね」

 星稜時代は豪快な本塁打を量産し、「ゴジラ」と呼ばれた。92年ドラフト1位で巨人入り。その一方で、真剣に大学進学を考えた時期もあった。もし、大きな故障でもしていたらプロに進めなかった可能性もある。「自分でプレーできなくても、野球を続けたい気持ちがあれば、もしかすると高校生に教えたいという気持ちになったかもしれないですね」。ひょっとすると、高校野球の指導者になっていたかもしれない。

 高校生を指導する魅力とは何だろうか。

 「あの熱さや甲子園というよりも、彼らの次の人生に、何か礎になるようなものを植え付けてあげたい。それが楽しいんじゃないかと思いますね。彼らが大人になって振り返った時、必死にボールを追いかけた高校時代が今の自分の基になっている、そう思ってもらえたら、高校野球の監督はうれしいと思います。高校3年間はアッという間。そこでは何も、はかれない。強豪校の監督にしても、甲子園で勝った、負けただけではなく、社会にどういう人材を送り込んだか。個人的にはそこだと思います。マスコミはそう見ないですけど、本来はそういうことだと思います。あの高校時代があったからこそ、今の自分がある。そう思ってもらえるようになることが、実は一番大切なことじゃないかと思います」

 松井氏は、勝利至上主義を否定しているわけではない。ただ、高校野球は勝ち負けだけで評価されるべきものでもなければ、大人の論理だけで運営されるべきものでもないと考えている。最近、話題になっているタイブレーク制導入についても、「故障は心配」としながらも、あえて結論付けようとはせず、慎重に言葉を選んだ。

 「これは難しい問題。野球という競技の本質を守るか、球児の体を守るか。そこは徹底的に議論して落ち着くところに落ち着けばいいと思います。どっちがいいとか悪いとかではない。みんなが納得するところはないでしょうけどね」

 100年にわたり、国民から愛され続けてきた高校野球。「甲子園は僕の原点」と言い切る松井氏の語り口は、灼熱(しゃくねつ)の甲子園のように、最後まで熱かった。(おわり)【取材・構成=四竈衛】